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*不登校発現から初見面接(6月17日)までの経過

1996年

11月 小児神経科医S医師と面接。「トラウマによる幼児返りです。しばらくそっとして、家族の方で温かく包んであげましょう」との指示を受ける。

12月 小学校の紹介で教育相談センターへ行き、面接を受ける。「時が薬です。いつかは治るだろうけど、もし心配なら精神科を紹介しましょう」との指示の後、YG性格検査を受ける(AD型)。

12月 S病院の心療内科を受診(その後、Kは病院や相談機関に行くことを強く拒む)。

本人が中学から学校へ行くというので、両親も登校刺激を入れずじっと待つ。

この頃はまだ、将来に両親も明るい希望を持って待っていた。

1997年

5月 中学へ入学して1カ月登校を続けた後、再度不登校になり、児童相談所へ来談し両親のみ面接を受ける。「待ちましょう」と言われ帰宅。

6月 中学校の紹介でT相談所を訪れ、「待ちましょう」と指示を受ける。

これまで、Kの両親は数カ所の相談機関を訪れたが、いずれも「そっとして待ちましょう」の指示を受けてきた。しかし、「何かまだ他に方法があるのではないだろうか」、そう考えた両親は知人に、再登校の指導をしている桜井の存在を聞き、早速連絡をしてこられた。

 

―初見面接とその後の指導経過―

〔I〕初見面接からカウンセリングの計画まで(第1ステージ)

1997年 6月18日14:00 初見面接(両親そろって来談)

Kの再登校は、両親の協力なしにはあり得ない(両親の再登校させたいという強い意志を確認する)。

行動論的手法(注1)をしっかり理解してもらうために参考資料を渡し、次回までに事前調査票と生育歴を記入してもらう。

1997年 6月25日9:00 Kの通うT中学校を訪問

桜井(指導者、以下Tと記述)が、Kの通うT中学校を訪問し、校長、養護教員、担任とKの再登校に向けての取り組みを相談する。

学校側は従来の方法と違う取り組みに、かなりちゅうちょしている様子。しかし、養護教員の積極的な姿勢と強い母性を感じる人間性にTはほっと安堵して、学校を後にする。言葉の説明よりも、Kの行動変容が学校側を動かすと考え、とりあえず両親と養護教員の協力のもと、指導を開始することにした。

 

初見面接およびその後の母親との接触

1. 母親自身、行動的アプローチに非常に興味を持っている点

2. 両親が学校のPTA活動に積極的に参加し、教師、とりわけ養護教員と良い人間関係を持っている点

3.母親自身が、長男の死という悲劇をしっかり受け止め、積極的に立ち直ろうとしている点

Tは以上のことを知り、すべての指導に母親を介入させる指導計画を作成した。

 

(注1) 行動論的手法 行動療法、行動分析的アプローチをベースとする指導法。

 

 

 

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