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週1回の家庭訪問を繰り返すうち、訪問を待っているような様子が見えてきた。心に浮かんだことを、そのまま書きつけるという方法を繰り返すうち、自分を見つめる目が深まっていった。親への恨みと自己嫌悪とが心の奥に潜んでいて、そこから友人に話せない自分が生まれてきているらしいと、口にするようになった。このままでは、大人になっても人と話すことのできない自分になってしまいそうで怖いという。

家庭訪問の合間に、母親が面接に来た。

自分の育て方が悪かったのではないかと涙ぐむので、「その時その時、一生懸命に子育てをしてきたのだから、過去は追わないようにしましょう。これからどうしたらよいかを、いっしょに考えていきましょう」と話し、「子どもは、学校に行けないということで負い目を感じています。自分をうまくコントロールできず、自分でどうしたらいいのかと、もがいています。だから、ちょっとした言葉に怖がってみたり、反抗してみたりするのです。そのあとで、言いすぎてしまったと自分を責めたり、もとはといえば親が悪いんだと責任転嫁してみたり、あれこれともがくのです。だから、言葉や行動をそれだけで判断してしまわないで、もがき苦しんでいる姿を丸ごと受けとめるようにつとめて下さい。そのために今できることは、子どもの話をよく聞くこと、子どもの苦しみをわかろうとすることです」と、母親を励ました。

 

小学生の頃の夢

家庭訪問を続けて1カ月がたった。学校へは行けない状態が続いていた。訪問のたびに、見た夢を話してもらい、その時の気持ちや内容にかかわる話をした。したがって、夢の中に学校が出てこないかぎり、学校に触れる話はしなかった。

この時期になって、小学生の頃の夢をよく見るといってきた。小学生の頃は活動的で、友達とよく遊んだという。自分の言いたいことを存分話せたし、相手の思惑など考えず、自在にかかわることができた。ところが中学になって、どの程度自分を出していいのか、友人とどうかかわったらいいのかわからなくなったという。高校に入って、そのがまんがとうとう限界を越えてしまったのだと。

小学生の時の夢は、その頃の自分を取りもどしたいという思いと同時に、友達と十分かかわることのできる力を持っている、ということを表しているのだろうと話し合った。

学校を休み始めて1カ月半がたった。体にエネルギーが戻ってきた。しかし、学校へは足が向かない。このままでは卒業もできないという、先の見えなさから生じる不安が激しくわき起こっていた。面接場面で、こうなってしまった自分が情けない、こうしてしまった親が憎いと号泣した。「学校へは絶対に行けない。退学するしか道がない」と、激しく興奮して声を張り上げた。1カ月半たって初めて見せる、号泣の姿だった。興奮がおさまるまで待ってから、ゆっくり話してみた。

「学校には絶対に行けないと思っているようだけど、夢の中に現れる心の言葉は、行けるようになりたいと言っている。自分の中に両方の思いがあって揺れているんだと、自分をとらえて欲しい。また、親に対しての憎しみが激しく燃え上がってきたということは、それほど強く親に自分をわかってもらいたいと思っているからなのかもしれないね」

 

 

 

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