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パニックから7年目の春

《石井子どもと文化研究所 くるみ》石井守

 

不登校期間 高校1年6月(3年で中退)〜21歳 15歳男子

 

《家族構成》

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はじめに

母親からのうれしい電話

だれもいない部屋の窓際で、久しぶりの春めいた朝の日差しを楽しんでいる時電話がきました。

「先生、あの子が言ったんですよ。何か人の役に立つことをしようって」

荒れている時はもちろん、閉じこもっていた時も、動き始めてからもなお頻繁に電話をかけてきてくださった方です。しかしいつからか電話の回数は減り、その間隔はどんどん長くなりました。昨年秋の電話では、

「以前のようなことはありませんが、行動は相変わらずぐずぐずしているし、顔つきも子どもの頃のような明るさはないと思います。体だけは大きくなって、ごろごろとテレビの前で笑っているのを見ると腹が立ちます。この頃は、この子はこのまま大人になるかもしれないって夫とも話をしています。子どもだからといって、親が最後までめんどう見るわけにもいかないし、人それぞれの人生、そう諦めたせいか気持ちが楽になりました」

私には、楽になったようには聞こえませんでした。

しかし、今度の電話は違います。お勤めされている方ですから、朝の忙しさの中、短い会話でしたが「あの子の昨日の言い方は今までと違って本気です」、心からのうれしさを感じさせる、明るい声でした。最後に「こう言い出してから、実際行動するまでまだまだ時間がかかるんですね」とおっしゃいました。

私はそのとおりだと思います。このお母さんは今本当に、この子が必ず元気になることを確信されたのだと思います。

 

母親の手記

爆発までの彼

高校にも慣れたと思われる6月中ごろ、彼は突然暴れたのです。それは夕食後彼がテレビを見ているところで、夫が「今がんばって良い位置にいることが、受験競争に勝つコツ」などと言い出して、30分ぐらい話を続けていた時です。

夫は静かな、冗談などないまじめなタイプです。結婚以来今までも、出張以外深夜の帰宅はほとんどなく、日曜日はだいたい家にいて本を読んでいるか私の仕事を手伝うか、子どもと遊んでいます。近所の方々と比べて規則的な生活ができたと思います。私はこの子ができてから専業主婦で、時々近くの友人の店を手伝っています。子どもが小学校の低学年までは、子どもが帰る頃には必ず家にいるようにしていました。家は住宅街の中の一戸建てで、家族だけの暮らしです。

 

 

 

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