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中学校までの彼はおとなしくて勉強好きで、成績は上位の中、運動も平均ぐらい、明るくて友達も多かったと思います。希望の高校まではなんの苦労もありませんでした。

「あの成績で希望の高校に入れたのは、中学校でまじめだったのと受験前のものすごいがんばりかな」合格発表の時、中学の担任が言われました。

張り切って学校へ通っていましたが、5月の末か6月に入った頃から、なんとなく彼の行動が気になりだしました。帰って来ると着替えもせず、テレビの前に座っているのです。中学校と違ってクラブもしてないし、学校も乗り換えのない電車一本です。はじめは慣れない生活の疲れかなと思っていました。

日がたつとだんだん目立つようになりました。私が声をかけると「わかってる」「うるさい」と話を聞こうとしませんので、夫に話しました。夫もやる気のない彼に気づいて、あの日の説教になったと思います。夫にしては執拗な説教だとは思いましたが、反面強く叱咤してもらうことを期待していました。

 

突然の爆発

うなだれて聞いていた彼が、がまんできなくなったように不意に立ち上がった時の引きつった顔の恐ろしかったこと。だれも制止できない激しさでした。足音を荒げて2階の自分の部屋へ駆け込んだとみるや、ものすごい音がしてその辺りのものを壊しているのがわかりました。そばにいた、当時小学校6年だった弟のおびえた顔が今でも目に浮かびます。2階からスタンドや椅子も落ちてきたのです。

私はふと、「あの子は死ぬ」と思いました。説得しようと、声を掛ければ掛けるほど暴れるのです。特に夫には「殺してやる」と、今にも飛び掛かろうとします。私も怖くてたまりませんでしたが、近所に知られたくないという羞恥心もあって、まだ夫に対してよりは彼の反抗が弱かったように思い、何か言ったと思います。その後どうしたのか、ただ夢中だったこと以外は思い出せません。あの時のことは、その後夫婦で話し合ったことはありません。本当は夫も私も、お互い思い出したくないのでしょう。

翌日私たちは学校へ行き、担任と相談しました。でも暴れて物を壊した程度にし、親に暴力を振るったことは言いませんでした。

「物わかりも良いし、素直で反抗することはない子ですから、お父さんの要求が高すぎたか、言い方が悪かったのでしょう」「両親で、同じ言い方で追い立てすぎたのではないですか」担任のお話でした。「彼の要求にひるむことなく毅然と、しかし言い方は工夫して、学校に来させて下さい」

 

彼は閉じこもり、私は相談室や病院を巡り歩く

パニックの翌日から彼は部屋に閉じこもり、食事も自分の部屋へ持っていきます。夜中に台所をあさったり、コンビニへそっと行ったりしていました。もちろん学校には行かず、少しでも学校や勉強の話をしようとすると怖い形相をしますので、どうしようもありません。担任からの電話にも、絶対出ません。

 

 

 

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