2学期もここから学校へ通うことになった。受験に向かってラストスパートをかけ、成績も上がっているが、英語、数学が今ひとつ。一度、勉強しているところを見てみた。英語はプライドを捨てて中1からやり直し、数学は頭が硬すぎる。もっと視野を広げれば解けるはず、とアドバイスをした。なぜか本人の性格そのままで、成績も伸び悩んでいるようだ。
煮え切らない父親
そして正月明け、両親と隆司と私で今後について話し合った。まず、高校は富山で行くか東京で行くか、だ。母親は、夏休みいっしょに過ごして、子どもとのかかわり方が少しわかってきたようだ。一方父親は、逆に自信がなくなった感じだ。
私は父親を見て、富山で全寮制の高校へ行くことを勧めた。母親は生きていければどこでもよいと覚悟を決めている。煮え切らないのは父親だ。いろいろな話はするが、核心部になると話をそらす。
ついに隆司は言う。「オヤジはどう思っているのか」。父親は「皆の言うことを参考に」。「オヤジの意見を聞いているんだ。ズルイぞ」
会社ではやり手の父親も、子どもの放った胸を突き刺す言葉に身をかがめた。
この瞬間私は、うまくいくかどうか自信はないが、隆司には東京で高校へ行くことを勧めた。失敗しても、またどうにかやり直せるという自信だけはあったからだ。
隆司は都立高校に合格し、「はぐれ雲」を去っていった。その後も父親からはよく電話がある。「学校をよく休む」、「家へ帰ってきても話さない」。隆司は最初は成績もそれなりだったが、アルバイトに熱中し、どんどん下がってきたようだ。私は、母親はどう言っているのか尋ねた。本人まかせで、特に何も言っていないとのこと。「では問題ないでしょう」と私。
さらに高3になると「卒業できないようだ」と父親。私は近くのスキー場のロッジの経営者から、アルバイトの求人を頼まれていた。隆司に声をかけると、あっさり富山へやって来た。やはりよく働く。「卒業できるの?」、「1課目危ないけど大丈夫でしょう」
1浪後彼は大学へ進学した。それでも父親から電話がある。「入学したはいいけどアルバイトばかりやってる」、「3年間でほとんど単位をとっていない。どのように言いえばいいか」
「やめてもいいのでは、とにかく電話を」と私。「私が電話したことを本人にわからないようにしてくれ」。“何をいまさら”と私は内心思う。
しばらくして本人から電話があった。そろそろ、このままではまずいと思っている、と。行政書士の資格をとりたいらしい。「それならわざわざ大学行かなくても、その関係の事務所へアルバイトへ行けばいい」と私。彼も笑いながら「それもいいね」
私は、人生30歳になった時、どうにか形になっていればいいと思う。それまでは実験台で、さまざまな経験をすべきで、なにも早いうちから一生の仕事につくこともないと思う。
隆司も30歳になれば、どうにかなるだろう。