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私も本当に腹が立つやら、情けないやら、長男の悔しさがどれほどのものだったか、はかりしれません。いちばんにフォローしなければならない担任が、不登校で悩んでいる生徒に、真っ先に追いうちをかけるようなことをして、火に油を注いだのです。私は主人に話し、教育委員会に電話をして相談しました。そして中学校の方と日時を決め話し合うことになりましたが、担任はその発言を認めず、長男の誤解だという言い方をし、教頭先生までもがそれをかばう状況でした。

本当に情けなく、はがゆいものでした。長男は「電話でそう言った」と言いきるし、私も近くでその状況を見ていて、確信がありました。でも電話ということで、証拠がないかぎり結局はうやむやになり、担任から頭を下げることはありませんでした。しかし長男は、もう担任を信じることはありません。とうとうこの2年生の時期は、最後まで登校できませんでした。

 

フリースクールでの活動

そしてちょうどこの頃、私の姉からあるフリースクールを紹介してもらっていたもので、何度か活動に参加していました。そこで、ボランティアのK校長先生と知り合えることになりました。ここは、今までのカウンセリングや相談所と全く違い、なぜもっと早く、引っ越す前に出会えなかったんだろうと思いました。

もっと早くKさんを知っていたら、長男が引っ越しまでして再スタートした学校の担任の、あんな言葉を聞かずにすんだかもしれないのに…と思いました。結局あのY先生は、1年間に4度ぐらいしか、家に足を運ぶことはなかったのですから…!

そして現在も同じ学校で、生徒のためではなく、家族のために生徒一人ひとりをお金と思い、黒板の前に立っているのです。

ここの活動に参加するたび、長男も少しずつ元気になり、笑顔も出て来て、Kさんに心を開くのも時間はかかりませんでした。ここで活動しながら中学2年も過ぎ、どうにか中3に進級させてもらいました。新しい担任のM先生は、2年の時のY先生とは少し違う接し方で、家には時々来てくれました。このM先生は女の人でしたが、長男の気持ちを先生なりに理解していただいていたので、無理に登校させようとはしませんでした。2年の時のY先生とのトラブルは知っていたと思いますし、少しずつ少しずつ励ましながら、必要なことだけは連絡し、また冗談も交えて会話もしてくれるようでした。

そのうち長男も、先生に対しては玄関まで出て返事をするようになりました。

 

高校受験に失敗

中学3年の1年間は届け物とか、身体測定とか、実力テストを受けにとか、2年の時とは違って、たびたび自転車で学校に行けるようにもなりました。小さいことですが、大きな進歩でした。フリースクールの活動にも参加しながら過ごしました。

3年生になっても1学期、2学期と、学校に行って授業を受けることはできませんでしたが、長男の心の中には、少しずつ変化があったのだと思います。修学旅行も体育大会も参加しませんでしたが、親としては寂しいものですが、これで良いとも感じました。受験については長男も悩んでいたのは事実で、不登校の上に自信も失っているわけですから、あせっていたようです。

 

 

 

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