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パソコンを買ってあげた頃から、手を使い始めるようになった。髪も工作用ハサミを使い、風呂場で自分で切っていた。「髪を切りに行く」と言い出した時はさすがにほっとし、うれしかった。高校の入学式の時もザンギリ頭、秋葉原へいっしょに行った時もものすごい髪型。これもファッションと思い、見て見ぬふりをしていたが、内心は憂鬱であった。

ビデオは、今も祖母の家へ予約をしに行く。週2〜3回、朝私が送って行く。祖母の家に行くのは、「家にBSがない」からだそうだ。専門学校に行くようになったらどうする気だろうと思うが、「まっ、いいか」、成りゆきまかせでどうなるかわからない。

私の元へ来た頃は、1日おきにそれも夜中、祖母の家まで歩いて(30分)行くので、帰って来るのは2時近く。真冬は寒いだろうと思うし、夜中にウロウロして何かあったらと、気が気でない日々が1年以上続いた。子どもが帰ってくるまで起きていて、「お帰りなさい」を言うことしかできない。今思うと、不思議とつらさを感じなかった。無我夢中だったのだと思う。

大変ななかでも、子どもが笑ったり、話しかけてきたり、体に触れさせてくれたりすることで苦労も吹き飛び、私にはいちばんの喜びだったと思う。

 

食事のこと

長男が中学生の頃、私が食事を作ると食べてくれないことがあった。たまに作るので、愛情いっぱいの気持ちを込めて作る。料理の苦手な私が作るのだから、食べてくれないとイライラする。「せっかく作ったのに、一生懸命作ったのに、なぜ食べない」と、子どもを追いつめる。子どもは、「一生懸命とか、押しつけられるのがイヤだ」と言っていた。私の元へ来て、私の作った食事を食べようとしない。弁当とか、カップラーメンでよい、と言う。

ふと、中学生の時長男が言った言葉を思い出した。「せっかく作ったのも、一生懸命作ったのも、親の勝手な言い分」。料理が苦手な分だけ気負ってしまう。がんばるのはよそう、子どものためというのも。子どもは私を楽にしてくれたと、プラス指向に考えることにした。

今では、私が作ったものも食べてくれる。下手だから、レパートリーは少ない。この間初めてご飯を炊いてくれた。私より上手に炊けていた。おいしそうだった。子どもが炊いたご飯を弁当箱につめて、学校初日に持たせてあげた。

「お母さんの料理がいちばんいい」なんて私も言われたら、子どもを抱きしめて、泣いてしまうかもしれない。

 

専門学校に行くことについて

先に書いたとおり、強迫神経症的なところがすべて治ったわけではないのが現実。ためらいもあった。残りの教科は通信で認定を受け大検に合格したとしても、神経症をもう少し克服しなければ、4月からつらくなるのは本人自身。はたしてついていけるのか。1年じっくり考える時間が必要か。

子どもと話し合う。話し合うといっても、「どうする、どうする」とせき立てたところで、子どもが答えるはずはなく、追いつめていくことになるばかり。

 

 

 

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