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いろいろと付き合わされたが、すべて限界のあるもの。これ以上は無理と拒否して、曖昧なままにしなかった。物や形だけで補うことをしなかったので、子どもは何か満たされたものを感じとったのではと思う。

 

子どもと共に暮らすこと

高校1年の6月に、長男がやっと私の所に戻って来た。1、2カ月前から、週に1度の割合で寝泊りに来るようになってはいたが、親子3人で住むのは5年ぶりのこと。うれしかった。

長男が小学校5年の時、私の父の死から始まり、祖父、祖母と相次いで看取る状態で、病人の看病が中心となり、生活のリズムは大きく崩れた。父が亡くなり、母が寂しくないようにと初孫である長男を預け、過ぎ去った5年間。

子どもの気持ちの中に、愛されていない、見捨てられたという思いが芽生えても不思議ではない。それと同時に、祖母のそばにいることへの責任と重荷を背負わせてしまったように思う。本来なら私がやるべきことを11歳の子どもに任せたのだから、子どもがしんどくなり、強迫神経症になるのは当然だと思う。子どもの本当の欲求、「母の元へ来て、母に受け入れてもらいたい。母に愛されているのか、確かめたい」という切なる願いが、高校をやめるという、子どもの問題行動として表面化したのだと思う。

「思春期は、再調整の時期」、まさにそのとおりだと思う。脅迫神経症になってからの、特に祖母に対しての長男の欲求は、とどまるところがないくらいすごいものがあった。祖母も「怒るから」「暴れるから」と、要求をすべて受け入れ、見ている限りでは、召し使いさながらに振る舞っていた。約半年で、祖母がギブアップ。祖母の「お母さんの所に戻りなさい」という言葉で、子どもは私の所に帰ってきた。

祖母が「帰すのは何日にする?」と聞いてきたので、「今日から」と答えた。思い立ったら吉日。いままで、私がいくら子どもと住むことを提案しても、手放すのを渋っていた祖母。それを、長男は行動で動かしたのだから、何日からなんていう必要はない。子どもの思いに精いっぱい応えることのみ。

I先生の「なぜ子どもといっしょに住まない!」という問いかけにもかかわらず、当たり前のことをめんどうなこととして逃げていた私は、覚悟をして向き合うことの意味を知らされたのだ。

 

子どもを迎え入れて

兄を迎え入れるにあたり、弟のヤキモチはすごかった。弟は中学3年生、高校受験も控えている。弟の文句を聞き、私の気持ちを伝える日々が、2カ月以上も続いた。体がふたつ欲しいと思った。弟の言い分を聞きながら、弟にマッサージをしてあげる。とにかくスキンシップを心がけた。兄には、ひたすら寄り添う。昼夜逆転の生活に付き合うのだから、睡眠不足であれこれ考えることすらできない。

祖母の所にいる時より短くはなったが、長男は相変わらず風呂は長く、食事の時は、服で手を隠して箸を持つetc。気にしないよう、見て見ぬふりと思っても、ストレスがたまるとつい注意し、何とかならないかと子どもを責めてしまう。心療内科で診てもらおうかと考えたこともある。

 

 

 

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