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毎月送られてくる通信「親子マンボウ」を読み、子どもに少しも変化が見られない日々を送っていると、私の心にストレスがたまってくる。そのストレスがいっぱいになると先生に電話をし、叱咤激励されることで、子どもの心を開くための模索が始まった。

共感してもらえるだれかに、子どもとの関係、今起きていることを聞いてもらうことで心が軽くなる。カウンセリングが必要なのは私であり、私の気持ちが変わることで、子どもも動き出すのではと、漫然とながら感じていた。いつかI先生と引き合わせることを第一目標に、子どもが動き出すチャンスを待った。

17歳の秋、I先生と対面。子どもの表情は固く、緊張していた。初めてお会いした先生の印象は私を安心させ、きっと子どは良くなると確信した。それと同時に、子ども自身が私を信頼し、先生を受け入れ、身を託すことを決心しているのも感じた。子どもに、いじらしさといとしさを感じた瞬間だった。

子どもは徐々にではあるが、動き出した。私も、再三誘いのあったグループセラピーの場に顔を出し、子どもと歩みを合わせる時期が来たと思い、1カ月に1度は出席しようと心に決めた。

先生の「大検を受けよう」という言葉が、子どもに目標を与えた。

大検を申し込んだ後の子どもの意欲には、目を見張るものがあった。その眼に輝きを感じるようになった。私はあくまで、本人のペースで進むこと、親のエゴイズムでせかすのは禁物と思い、ただひたすらそばに寄り添うことを心がけた。結果的には、子どもは歩みを止めることなく、18歳で専門学校に行くことになる。

長くも短くも感じられた3年間、子どもによって私は変わり、子どもが私に差しのべた手をしっかり受け止められたと思う。

 

絶食されたこと

高校1年の2学期から始まった“絶食”という行動は、私の頭の中を真っ白にした。ただひたすら食べてもらいたい、学校なんてどうでもいいと、私は子どもの前で「お母さんが悪かった、ごめんね」と、涙を流して謝り、真の姿をさらけ出した。

絶食されたことで、ペースは子ども中心になり、パチンコに行きたいと言えば連れて行き、ゲームセンターに行きたいと言えば深夜まで子どもに付き合い、秋葉原に行きたいと言うといっしょに行き、欲しがる物を買ってあげる状態が、3カ月ほど続いた。パチンコは私にもやらせるので、パチンコをやったことのない私にとって、長時間いるにはお金がいくらあっても足りない状態になり、ギブアップ。むだにお金を使うパチンコには行けないと話した。

ゲームセンターも、最初はいっしょにゲームをしたりして、子どもと楽しく時間を過ごせてよかったが、長時間帰りたがらないので、深夜までゲームをやっていると寝る時間がなくなってつらいと話した。

パチンコも、ゲームセンターに行くのも次第に回数が減り、いつの間にか自然消滅していた。秋葉原に行くのも、最終的にひとりで行くようになったのだが、しばらく付き合うと満足する様子は、3歳くらいの幼児の状態に似ているものがあった。

1月に入り、「バイトでもする?」という問いかけに、「してもいい」と言うので、私の妹の家業の手伝いをさせた。3月いっぱい続けたが、真冬週休2日の状態で、自転車で30分以上の道のりを通い、バイトしていたのだから本当にエライと思う。

 

 

 

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