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今は、息子の背中が大きく見える

母親

 

不登校期間 高校1年2学期〜 15歳男子

 

《家族構成》

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高校をやめること

高校1年の夏休み、長男が学校をやめたいと言い出した。

中学の3年間、日増しに生気がなくなり、無気力に通学している様子に危惧を感じつつも、「行きたくない」という決定的な言葉がないことに甘んじていた。

中学3年の進路相談時、子どもの本心が掴めず、とにかく周りと同じに高校進学をしてくれることを望んだ。学校はどこでもいい、子どもの意見を取り入れた新しい環境で、子どもの何かが変わるかもしれないという、淡い期待を抱いていた。今思うと、時間をかけて子どもと話し合い、子どもにとって居心地の良い場所を見つけてあげること、同級生たちとは全く違う方向に進むことを恐れず、子どもを見守る壁となってあげるなど、仕事の時間を削ってでも子どもと向きあう時間を持っていたら、何かが違ったかもしれないと悔やまれる。

高校1年の夏に話を戻すと、とにかく学費を納め、本人がそれなりに希望して入った高校を、「ハイそうですか、わかりました」と承諾するわけにはいかなかった。子どもの主張をすべて拒否し、学校をやめることはダメ!と目をつり上げ反対した。

子どもの父親との別居生活10年。仕送りも途絶えた状況で、私が父親の役割をも果たしてきたとの自負があった。自分勝手な意地かもしれないが、子どもを立派に育てることを信念に生きてきた。だから、「私ひとりでここまで育てた。あとは男同士で話し合い、男親としての主張をすればよい」と言ってやりたかった。

高校1年の2学期早々、子どもは学校へも行かず、“絶食する”という強行手段に出た。私は自負を捨て、初めて子どもの切なる思いを真っ向から受けとめる決心をした。そして、子どもと向き合う時間を多く持ち、見逃してはならないものをキャッチしていけば子どもの望む母親になれるのではと思い、仕事も変えた。

親子であるが故に、「学校をやめる」というのをわが子の意志の強さと思い、子どもの、親に対する切ないほど精いっぱいの主張と受け止め、その状態をなすがままに容認することとした。

昼夜逆転の閉じこもりが始まる。その間何冊かの本を読み、自己確認をした。本からの、一方通行の情報だけでは、今後の子どもとの向き合い方が見えてこないので、私の不安は増すばかり。私は悩んだ末、新聞の片隅に載っていた青少年育成協会のカウンセリングに電話を入れた。

電話をする前のためらいとは裏腹に、案ずるよりも産むが易し、I先生の声は私に安心感を与え、暗闇に明かりが差したように感じられた。

 

 

 

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