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最近は、自分が何が好きで何に興味があるのかを知らない子どもが多いように思います。偏差値教育が、本来の子どもが持っている得意なことや好きなことを取り上げているように思うのです。自主的な夢や希望が持てない子どもは、かわいそうですね。

また篠崎さんは、「何も知らない子どもには、題材は大人が用意してあげないと…」ともおっしゃいましたが、心理学でいう動機づけは、やはり親や先生が手伝ってあげるべきであり、子どもにいろいろな体験や、感動する機会を持たせてあげることは大切なことと思います。

また最近の子どもは、やたら習い事が多くて自分の時間を持てない子どもが多いですが、それもかわいそうな話。毎日、毎日、そのスケジュールをこなすのに精いっぱいで、自分で積極的に何かをする精神的な余裕がなくなっているようです。自由な時間の中で子ども自身が好きなことを見つけ、積極的に取り組める時間を持つことができるなら、もっともっと可能性が育っていくと思うのですが…。

習い事を中途半端で簡単にやめてしまう、それをまた簡単に認めてしまう親にも幻滅を感じます。私は幼い頃よりピアノを練習してきましたが、途中、何度もやめようと思いました。そのたび、「もう少しだけがんばってみたらどうだ。今に世界一のピアニストになれるぞ」という父の励ましで今もピアノの練習を続けていますが、途中でやめてしまわなくて本当によかったと思っています。

好きなことは、途中で投げ出さないことと、親はそれを励まし見守っていくことが大切であると思います。

 

不登校は不幸ではない

子どもがよりよい人生を歩んでいくためには何を選択していけばよいか、長い目で見て、決して押しつけではなく、共に歩んでいかなくてはいけないのではないでしょうか。親の価値観、世間体や先入観は捨てて寄り添って応援していく…。なによりもわが子を信頼すべきと思います。ですから、子どもと親の信頼関係がしっかりしていれば、不登校はさほどの問題ではないと私は思っています。

篠崎さんも、不登校について、「それは、子どもがイヤだから行きたくない。ただそれだけのこと。とにかく行きたくないのでしょう。そんな時親が学校へ行きなさいというと、親のこともイヤになってしまいます。だから親は、よしやめようと決断すべきですね。世間体を考えるから個性も伸びないし、社会性も身に付かない。そして子も親も先生も孤立していくのです。人間にとって大切なのは愛です。愛がなければ何も育たない。親子、兄弟、友情、男女すべてが愛なのです」と、おっしゃっています。確かに、人生がより豊かなものになるには、多くの人の愛がなければならないわけですものね。

学校へ行かない、行けない、不登校というと心の病であるとか、親の育て方が悪い、わがまま、怠け…など、いいことは言われませんが、人生は長いのであって、学校を休まずに登校したとしても、一生幸せに暮らせるとは限りません。要は、本人が幸せと感じなければ幸せでないわけなので、学校へ行かない、行けないことが不幸であると世間が思っているほど、不登校は不幸な出来事ではないと思います。

 

 

 

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