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病院に行き、とりあえず湿布で、足首と心も癒して登校した。担任を見つけたので私から状況を話すと、「ピアノの伴奏が負担になっているのでしょう」のひと言。心からの対応を求めたのに、この素っ気ない態度。残念というよりも情けなくなってしまった。

合唱の練習があるのを知り、娘が午後登校すると男子のひとりが「なんで今頃来るんだよ」、すると負けん気の強い娘は「私が来なかったら、伴奏はどうすんのよ」と言い返したという話を、その頃娘が慕っていた国語の教員から聞いたことがある。娘は後で、「胸をグサッと刺された思いがした」と語っていた。その時娘が泣いたなら、もっとやさしくされたかもしれないが。

2年になり、大好きな女性教諭が担任になったこともあり、時折登校した。養護教諭ともよく話をしたらしい。心から信頼できたのだろう。担任は多忙にもかかわらず家に顔を出してくれたり、夏休みには半日「宿題をいっしょにしよう」と訪ねてくれたりもした。たくさん話をしてくれた。ありがたく思った。時には不登校で転校してきた子のことを思い、娘は「ふたりで保健室で実力テストを受けよう」と相手を気づかいながらその子を誘い、いっしょにテストを受けたりした。しかし、意を決して参加した野外宿泊学習では、友達の何気ない言葉に傷つきもしたようだ。

 

体面を気にする学校

初めのうちは、足首やおなかが痛くなり、熱も本当に出た。しかし、いったん登校してしまうと元気に振る舞うので、「さぼり」と言われたりもした。父親は、最初登校を強制した。娘は、父親が出勤するまでトイレに入ったまま出て来なかったこともあった。誘いに来てくれた友達に対しても、同様なことがあった。欠席すると決めると体が安心し、痛みもおさまる。明日は登校しようという思いで眠れなかったことも加わり、布団に入って眠ってしまう。そんな昼夜逆転の生活もあった。

2学期になり、担任には話して教育委員会の教育相談を何回か受けた。本人がいっしょに行くと登校扱いになることを知り、いっしょに行ったりもした。担当者は、どうしてこの子が不登校なのかと首をかしげたりもした。娘が自分の知らないところで自分のことを話されるのをきらったので、気付かれないように何度か電話もした。そこで、学校と絶縁ということがないようにしなくてはいけない。学校の匂いのするものを、自然に目にふれるところに置くように言われもした。

週に1回は、家での様子を知らせに学校に出向いた。信じられる知人から、「この中学校は、学校の体面を保つことばかり気にして、自ら転校しなくてはならないようにさせられた人もいたよ」という話を聞き、なおさら担任にプリント類・配布物の送付をお願いしたり、電話で娘の様子を伝えたり、学校に出向いたりした。同じ社宅内に、娘のことも理解してくれている方が何人もいて、そのうちのひとりの方の息子さんがたまたま娘と同じクラスなので、彼にお願いして持ってきてもらったりもした。

そろそろ登校しようかと思い始めた時に、前ぶれも連絡もなく急に担任が来て「今、クラスのみんなはテストをやっている。そのテストを持ってきたからやってみて、できたらI君に渡して」と言われ、登校機会を失ったことも何度かあった。

中学校の教育相談担当で、この人は話せるかなと思ってた教員に、娘の不登校は怠学からくるもので、両親は一枚岩で対処しなければいけない。教育委員会に相談に行く前にこちらに知らせて欲しいと言われたが、すべて担任に話を通して行動していたことなのだ。

 

 

 

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