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第2章 保護者編

 

わが家の明るい不登校

母親

 

不登校期間 中学1年1学期〜中学3年修了まで 12歳女子

 

《家族構成》

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本人について

父親、会社員。母親、専業主婦。本人が中3の時の6月より、臨時任用教員として働く。社宅に居住。本人は東京の民間のアパートにて出生。生後3カ月の時に横浜の社宅に転居。2年保育の幼稚園に入り、年少組の時、弟の出産で帰省した2カ月間の休園後の3学期に登園渋り。直接の原因は、いじわるされる、プールの先生に対する不安などだったが、弟の健診で父親も会社を休み、自分だけが登園するさびしさからだったと思う。それに、自分はお姉ちゃんだからがまんしなくてはいけない、でもというジレンマに自分を追い込んでしまったように思われた。私からは「お姉ちゃんだからうんぬん」という言葉は発していなかったのだが。小1終了時、隣町の社宅に転居。

そして、小6の時は中学校に対するさまざまな不安からだろうと思われる登校渋りがあった。性格は、表面的には明るく元気で、向こうっ気が強く、バイタリティにあふれるように見えるが、内心はかなりナイーブで、何気ない言葉に傷つくということもあった。自分ではがまんしても、相手のことをいちばんに考えてしまうようだ。

子育てで意識したことは、思いやりの気持ちを大切にして、自然に、そしてその年齢に応じた成長を見守ろうとしたこと。遊び、特に外遊びをたくさんしたような気がする。また、子どもは大人を小さくしたものではない、ひとりの人間である、そういう気持ちで扱ったつもりだ。「〜しなさい」という言い方はしなかった。「〜させる」ということもほとんどせず、自ら行動を起こすまでじっと待った。

 

担任不信から不登校に

中学校入学式当日、生徒に配らせればよいようなプリントを、小1の子に接するように自ら配布する担任に一抹の不安を感じとり、次第に頼りなさを感じていったようだ。そして、断っていた合唱コンクールのピアノ伴奏者を決めるのに、本人がちょっと席を外していた時に、担任も同席していたにもかかわらず決められた。本人は抗議したのだが、そのまま伴奏者になった。このことが、担任不信に拍車をかけたようだった。小学校時代は、母親が教員と懇意にしているおかげで先生方に大切にしてもらったと思い込んでいたようだ(時に娘にとって、母親の存在が大きすぎたのかもしれない)。中学校は知らない先生ばかりなので、自分はやっていけるのだろうかという不安も入り混じっていたようにも思える。

小学生の時から続けていたバスケをきっかけに、なんとか登校できればと思ったが、「ねばならない」という気持ちが強く出過ぎて、足首が痛いという状態になってしまった。

 

 

 

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