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充実した高校生活

場所が変われば登校できるかもと転校も考えたが、本人は今の中学校の教室に登校したいという。そして、高校にも進学したいという。3年生になり、本人自らの希望で塾に行き始めた。しかし、「塾に来られるのに、どうして登校できないの」と、友達から素朴な疑問を浴びせられ、とまどったこともあったようで、結局途中でやめてしまった。

その頃、学校の担任が「あまり勧めないけど、こんな学校もあるよ」と、M総合学園高校の話をしてくれた。娘は一目で、「ここ行きたい」と決めて無事入学し、そこで水を得た魚のように、充実した高校生活を送った。そして、そこで娘は貴重な友人たちにも出会うことができたようだ。

 

―振り返って思うこと―

自ら行動を起こすまで待とう

中1の1学期の間は、不登校の原因を追求してみたり、夫との意見のくい違いに悩んだり、また、登校したいと訴えている娘をどうにかしてやりたいという思いにかられていた。本・TV・ラジオを見聞きし、娘が通っていた小学校の教員・知人や、私の中学時代の恩師・親兄弟にも相談した。そのうち、ふと思った。この子は、今まで漢字学習にしろ、水泳にしろ、おけいこ事にしろ、自分からやりぬこうと思って行動を起こしたことは、生き生きとやり遂げている。ならば、自ら行動を起こすまで待とう。今までも待ってきたではないか。

学校だけが勉強する場所ではない。真から高校へ行こうと思ったら、自ら行動を起こすだろう。そんな時、背中をポンと押してやろう。子どもの前に出て手を引いても動かない時は、横にならんで(同じ目の高さで)、思い出話やいろいろな話をするのも必要だ。この子は今まで、一生懸命がんばってきた。今は、ひと休みしているんだ。ひとつの同じレールの上にすべての子どもを載せるのではなく、それぞれの子どもにそれぞれのレールがあるはずだ。そのレールの上を進むこと、すなわち自分の人生を自分の力で歩いていくことが大切なのだ。そう思ったら、すごく気持ちが楽になり、前向きに不登校と向き合えるようになった。

また、初めは娘に登校を強要していた父親もそれをやめて理解し、将来に役立つようにと、ワープロを与えた。娘はそれが気に入り独学で使いこなし、小説を書いたり、好きな料理のレシピをまとめたり、ずいぶん活用していた。そのレシピを利用して“変わりおせち”を作って祖父母に届け、たいそう喜ばれもした。父親のこの行動は適切だったと思う。

 

不登校を責めず、隠さず、そして明るく

不登校はいけないこと、休むことは悪いことと思っている本人、そして妹・弟に対しても決して悪いことをしているのではない、休憩しているだけなのだから卑屈になることはないと、私はさまざまな場面で対応した。おかげで、明るい不登校ができたようだ。

 

 

 

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