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昼間は学校、学校が終わってから部活、部活が終われば塾へ、そして塾が終わった頃には夜9時を過ぎていたのだから、遊ぶ時間などありはしなかった。もう、残された時間は夜中だった。家の者が寝しずまってから、家を抜け出して遊び歩いた。だが親に見つかったり、補導されてこっぴどくしかられることもあった。

 

体調の異変

学校に行くことがますますいやになった私は、悪友と共に家出をした。血眼になって探し回っている教師や親たちをよそに、私たちは友達の家を転々とし、身を寄せる所がなくなると、公園や川辺で野宿するようになった。

夏ももう終わろうとする頃、私たちはとうとう親たちに捕まってしまい、学校へ行くことを約束させられる。しぶしぶながらも、周囲に迷惑と心配をかけてしまったことを反省し、いままでよりもまっとうに学校へ行こうと決めた。

しかしその矢先、私は急激な体の不調を覚えた。それは、吐気が急に襲ってくるというものだった。この体調の異変は、家出でまともに食事もとれず、毎夜のように外で過ごし、体が非常に弱っていたせいだと考えたが、心労も大きかったに違いない。それから私は、食事もまともにとることができなくなり、学校へも行けなくなって家で寝込むようになった。

私は、母親に連れられて病院を回った。だが、どこの病院に行っても、体に異常はないと診断される。これには、私も親も困惑させられた。どうして体中を検査しても悪いところがないのに、ぐあいが悪くなるのか。その理由もわからず、またほかの病院へ行くと、心の病気からくる拒食症であると言われ、市内にある教育相談所の老練な先生を紹介された。

先生と会う機会がおとずれ、話をした。すると、周りの大人たちとは違いゆっくりと話を聞いてくれ、私のしてきた大人たちへのささやかな抵抗を理解してくれた。これは、大人が信じられなかった私にとって、驚くべきことだった。その後も体調の不良は続き、中学卒業の時期を迎えてしまったが、結局理解ある人たちと出会うことで、私は徐々に元気を取り戻すことになる。

 

拒食症に苦しむ

友達がそれぞれ新しい道を歩き始めているなか、私は高校へ進学することもできず、孤独にただ家に引きこもっていた。外に出ようという気持ちは全く失ってしまい、食事も日に日に食べられないようになっていった。

そんな状態が改善されないままに月日は流れていき、しまいには脱水症状を引き起こしてしまった。3日間身動きができず、寝たきりになってしまったが、なんとか病院へ連れて行ってもらい、何日にも分けて点滴を受け、最悪の状態から脱することができた。その時、もう一生こんな苦しくていやな思いはしたくないと思い、無理をしてでも食事をとるように心がけていった。

そのようながんばりをしていたが、精神的におかしい部分が多くなっていった。不眠症やヒステリー、それ以外にも神経が非常に過敏になってしまっていた。

病院へ行って相談をしてみたが、眠剤や安定剤などの薬をくれるだけだった。他には頼れそうなところなどなかったので、ひとりで考えて治すしかないのかもしれないと、絶望にも近い心境になっていた時期もあった。

 

 

 

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