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友達の存在が、私を救ってくれた

中学3年 男子

 

不登校期間 中学3年4月〜翌年7月

 

《家族構成》

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自分について

私はいま、ボランティア中心の生活をしつつ、50歳を迎えようとしている父と、70代の祖父母とともに、2階建ての一軒家に住んでいる。生まれてから今まで、引っ越しなどすることもなく住み続けている北海道のT地方には、多くの自然があり、環境的には非常に恵まれているといえるだろう。

家族との仲も悪くはなく、面と向かって会話することができる。私が引きこもりをしていた時のトラブルがきっかけで、家を出ていってしまった母親との仲もそうだ。しかし、まだ完全に家へ戻っていっしょに生活しているわけではないので、周囲からはぎこちないものに見えるかもしれない。

 

―経過―

授業をサボる日々

私は、中学3年生の春から、学校へ行かなくなっていた。その理由は、勉強がおもしろくない、教師たちがいやだとか、さまざまなことがあったと思う。それで私は、世にいう“不良”となって、学校へ行かなくなってしまった。

しかし、全く学校に行っていないわけではなかった。学校自体が嫌いではないし、友達は周りにいて、遊んでいると何よりも楽しく思えた。勉強といやな先生さえいなかったら、学校は好きだったと言えるかもしれない。

けれど、物事を考えるにはまだまだ幼すぎて、軽率な行動に出てしまいがちだった。そのため、嫌いな授業の時は、悪友と共に学校を抜け出して近くの川辺で寝ていた。人目を盗んで脱走したり、堂々と正面玄関から抜け出してサボることは、スリルとその後の解放感が合わさり、とても気分が良いことだった。

そんな不まじめな生徒を、教師たちが見逃し、放っておいてくれるはずもなかった。私たちを指導室に連れていき、口うるさく説教したり脅したり、あげくは体罰を加えた。それは、学校をさぼったりした報いなのだから仕方ないことだったのだが、ますます学校に行きたいなどとは思わなくなり、私の学校に反発する言動は悪化していった。

わるさばかりするようになった私たちは、学校側からひどくけむたがられ、問題児あつかいされたが、逆に同級生や下級生からは歓迎された。それは自分では誇らしく思っていたが、体裁を気にする親や大人たちからは、認められ理解されることはなかった。反抗期ということもあり、勉強しなさい、塾に通いなさいと言う親をも嫌悪していた。

 

 

 

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