しかし夏がおとずれ、私は、そんな弱気なことではまた脱水症状になってしまうと、母親の協力も借りて、苦しいながらも必死になって食べ続けた。そのお陰か、まだ少量ではあるが、毎日安定して食事ができるようになっていた。
友達が遊びに来た
そして夏のある日。中学時代の友達が、夏休みだからと遊びに来てくれた。まともに友達と遊ぶことなんて、中学を卒業してからなかったことだったが、そんなブランクや体調の悪さは、楽しく遊ぶことで忘れることができた。
それからも、友達は毎日のように遊びに来てくれた。家の中で遊ぶのもむずかしいことだったが、友達といっしょにいる時間はどんな薬よりもいい薬となって、私の体を元気にさせていってくれた。
友達の夏休みが終わる頃には、私は以前よりも食欲が出るようになり、体重も驚くほど増えていた。そのせいか、いままでぐあいが悪くて家から出る気がなかったのが夢だったように、自主的に外出するようになった。そして逆に、夏休み中に来てくれていた友達の家へと、遊びに行けるようになった。
私は1年間近く家に引きこもっていたとは思えないほど、元気になっていった。精神的に不安定だった部分も、良くなってきていた。秋が終わろうとするころには、自分でも驚くほど元気になっており、バイトをやれるまでになっていた。
まだ全快していたわけではなかったが、苦しいながらも逆境に耐えぬいていけば、それが地道で遠回りなことであっても、必ず良い方向へ向かうのだと強く実感した。そしてなによりも、友達の存在が大きいことを。
所感
中学時代に私は、いじめをしたこともあった。
そのいじめは、クラス全体でひとりの生徒をいじめるというものだった。中学生になってからは、いじめや一時的な仲間はずれは日常茶飯事のことであったが、私も加わったそのいじめは、ひどいものだった。
いじめられることになったのは、太っちょのO君だった。O君はクラス全体のいじめが始まる以前から、何年もいじめられていたらしい。そのせいか、いつも周囲を警戒し、まるで人におびえているかのように、おどおどしていた。O君が長い間いじめられていたことを物語っていたのは、彼に話しかけても話し返してくれず、話しているところすら見た者がいないということだった。O君がしゃべらなくなったのは、いじめが原因であったのは確かなことだろう。
それを少しでも知っていた級友は、O君にできるだけ親切に接していた。しかし、クラスのみんながO君を非難する事件が授業中に起きた。それは先生が何人かに質問し、そしてO君を指名したことが発端だった。O君は先生の問いにも話し返すことができなくなっていたのだ。みんなで、「答えなよ」とうながしたが、結局O君は先生や級友たちの声援にこたえられず、授業は終わってしまう。
休み時間になり、O君のせいで授業がつぶれてしまったと、強く非難する声があがった。だれも弁護できず、ただ体を小さくしているO君を助けようとする級友はいなかった。
その一件以来、みんなとO君との間には大きな不和が生まれ、暴力や罵声、無視など、クラス全体のいじめへと発展した。
いじめは、O君が卒業するまで続いていた。しかしO君は、いじめられていても学校へは登校していた。いじめを避けるために学校へ来ないのは、簡単なことだったはずなのに。
きっといじめは、O君のトラウマになってしまっただろうが、何年もたった今では、強い大人へと変わっているだろう。