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不登校経験のあるカウンセラーとの出会いが、私を救った

19歳 男子

 

不登校期間 高等専門学校5年生から3年間

 

《家族構成》

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自分について

基本的な同居家族は、両親と3歳年下の弟の4人家族です。父は仕事が忙しく、帰宅の時間も遅く転勤も多かったので、私が中学生になった頃からは単身赴任をするようになっていました。

弟は、私が不登校になる1年ほど前から不登校になっており、自宅に引きこもっている状況でした。両親の勧めもあり、父の家事手伝いをしながら自分自身のことを整理するようにと、弟は父の単身赴任先でいっしょに生活するようになりました。父と弟、母と私、家族がふたりずつに分かれて生活するようになっていました。

そのうち父が体調を崩して入院しました。そして退院後は、食事関係の制限などもあったため、母も父たちと生活するようになりました。私の不登校の始まった頃(19歳)は、このように身体的にも精神的にも、ひとり暮しをしている状況でした。

 

―経過―

このままでいいのかという不安

私は高等専門学校の建築学科に通っていました。就職先も内定し、卒業が間近に迫って卒業研究などで学業も忙しい毎日でした。そのうえ慣れないひとり暮らしで、肉体的にも精神的にも疲れてしまい、「少し休みたい」という気持ちが自然とわいてきたことが、不登校のキッカケとしてあったとは思います。

その背景には、今までずっと感じていた「このままの生活でいいのか?」という気持ちがありました。学校に通っていたのも、就職先を決めたのも、すべて自分で選択し、自分で決定してきたにもかかわらず、常に自分の心の奥には「自分が本当にやりたいことは何なのか?」「今の自分は、本当に自分のために生きているのか?」という疑問や、「このまま卒業し、就職して、今までのようにがんばり続けていけるのか?」という大きな不安がありました。

私は、両親をはじめ自分以外の人に対して、「いい子」を演じていたように思うのです。両親と離れて生活するうち、自分の「わがまま」が無意識に行動に表れてきたのかも知れません。

このような経過で学校へ行かなくなりました。心配した母も自宅へ戻って来たのですが、親も含めて人に会えば会うほど、葛藤が深まり、つらく苦しくなる感じでした。

学校の先生や親しい友人たち、そして両親と話をしても、自分が心の奥底で悩んでいることは、どうしても口にすることはできませんでした。そもそも、自分自身が混乱し、何を悩んでいるのかわからないということもありました。

 

 

 

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