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趣味のための外出が学校復帰につながった

小学6年 男子

 

不登校期間 小学6年2学期〜中学1年2月

 

《家族構成》

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本人について

当時の家族構成は、父と母と私の3人だった。父は高校卒業後に自衛官となり、後に警備会社に就職した。母は農家の出身で、高校卒業後に事務職を4年間勤め、退職後は家事を手伝っていた。父35歳、母28歳で見合い結婚し、翌々年に私が生まれた。父は長らく市内での日勤であったが、私が小学2〜4年生の頃は、数カ月単位での出張を引き受けて単身赴任していた。そのため、専業主婦である母とのふたり暮らしが3年間程度続いた。

私が小学4〜5年生の頃にかけて父が病気で入院し、それ以後、継続的な通院が必要なために再び市内での勤務となったが、出張手当がない分だけ家計は苦しくなった。またその頃、借家の取り壊しを大家から告げられ、市営住宅に転居することになった。家賃は2倍近くになり、父の通勤距離も延びたため、家計はさらに厳しさを増した。そしてこの転居に伴い、私は小学5年の秋、最初にして最後の転校を経験した。

 

―経過―

傷ついた自尊心

転校先の小学校は体力づくりに力を入れていた。運動が苦手な私にとって、毎週実施されるマラソン大会や縄跳び検定などの体育行事は、大変な負担であった。また、合唱指導にも熱心な先生が多く、第二次性徴で変声期にあった私は思うように歌えず、低い評価を受けた。

転校前の私は、学級委員などの役職を引き受けてリーダー的な存在であり、周囲からの評価も高かった。しかし、転校した学校では、運動や音楽の得意な人が児童会の役職等で活躍する傾向にあり、自分の存在意義を感じることが難しかった。このような学校生活によって自尊心が脅かされ、なんとか自分を認めてもらおうと必死に努力した結果、完璧主義に陥ってしまった。

そして小学5年の3月、風邪で欠席したのがきっかけで不登校が始まった。風邪そのものは3日程度で完治していたが、勉強の遅れが気になり、自力で遅れを取り戻してからでないと登校しても恥をかくと思い、修了式前日まで1週間連続で欠席した。

小学6年に進級後も、週に2〜4日断続的に欠席していた。なんとかして学校に行かなければならない、そして優秀な成績を収めて、周囲に認めてもらわなければならないという思いが強かったことと、親の登校催促により、週に1〜2日は登校していたのである。しかし、勉強はいっそう遅れた。クラス替えで、数少ない友人とも離れてしまったが、登校した日の帰宅後には、まだいっしょに遊ぶことができる状況だった。

 

 

 

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