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それだけ「不登校」というのは「どんな環境でも、状況でも起こりうること」なのかもしれない。

しかし、「不登校になるきっかけ」というものなら、今思い当たることがある。当時、私が中学にあがる時、仲の良い友達のほとんどにお姉さんかお兄さんがいた。私は第1子で長女である。お兄さんなどがいる友達は、中学校の様子などを、中学入学前にお兄さんから聞いていたのである。小学校の時から活発で、何事にも好奇心おうせいで俗にいう「ムードメーカー的存在」の私は、友達から中学の様子を聞くたびに、「中学校でも元気にやっていけるかな?」という不安に、ひとり陥っていたのだ。

その点、兄弟から情報を聞いている友人たちは、私から見たら「中学に対する不安」が何もないように思えた。それが、私をますます不安にさせていったのだ。

そして実際に中学に進み、「がんばるぞ!」と気合いを入れて中学生活を満喫しようとしていたその矢先に、私の「不安」をつのらせてしまう出来事があった。それまで相性の良い担任に恵まれてきた私は、中学で初めて相性の悪い担任に当たったのだ。他の人にとっては、気にもとめない出来事かもしれないが、学校生活における担任の存在は、私にとってはとても重要な問題だった。この中学1年当時の、相性の悪い担任との出会いは、「不安を伴う中学生活」の「不安」をより募らせる結果になったのだ。

「中学」という場所に対する「不安」。そしていちばん頼りにしたいと思い、支えになって欲しいと望むはずの「担任」への不信感。その他にも、中学の友達との関係、小学校ではできていたはずのことができない自分へのもどかしさ。そういった、もろもろのストレスが重なり、5月頃とうとう体調を崩してしまった。

そして、家の中での精神的に安定した日々、それがとても居心地の良いものとなり、なかなか「中学校」という名の「不安の領域」に赴くことができなくなってしまったのだと思う。

今思うと、中学校に行かなくなった理由は他にいくつか思い当たることもある。しかし、当時から10年たった今現在の自分なりの見解では、やはりこの「中学校への不安感」というものが、不登校の直接的な理由だったのではないだろうか。

中学校へ全く行かなくなるまでには、1、2カ月はかかった。5月頃からだんだんと行かなくなり、夏休みになった。夏休みが終わる前には「気持ちを新たに2学期からは中学行こうかな?」とも何度も思った。しかし、実際に当日の朝になると、体調を崩してしまうのだ。「気持ち」と「身体」とが別々のものに感じられた。

「気持ち」では「中学校に行きたい!」「勉強がしたい!」「部活に出たい!」そう心から思っているのに、実際に行こうと思う当日になると、「身体」は不調を起こしてしまう。私の場合、仮病とかではなく、実際に熱が出てしまったり、腹痛が出てしまったり、時には精神的圧迫のせいで、声が出なくなることもあった。そして、「中学校に行こう」と思っているのに実際には行けない自分がだんだんもどかしくなって、責めてしまい、情けなくも感じるようになった。

 

見守り続けてくれた母

周りの友人や先生方は、初めはなんとか私を学校へ来させようと、自宅に訪問してきていたけれど、私の精神的圧迫を考えてか、だんだんと「しつこさ」はなくなっていった。

 

 

 

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