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このことは当時の私にとっては、とても良かったと思う。当時の私は自分に対する「焦り」というものがあって、自分で自分を追いつめるような感があったから、周りの人たちが「見守る」という行動を取ってくれたことで、私の焦りが増すようなことはなくなっていった。

その「見守る」という、とても辛抱強い行動をとってくれていたいちばんの人物が母である。周りの人たちの行動は、やはり母とのやりとりがあって変化していったのであろう。母は不登校期間中、ずっと私を見守ってくれた。そのお陰で私は、「焦り」や「自己嫌悪」というものから、だんだん解放されていくようになった。当初、「中学校に行かないことは悪いことだ」という気持ちから、「絶対に行かなければならない!」という焦りでいっぱいになり、どうしても行けない自分に深い憤りを感じていた。

そんなある日、私はいつものごとく前日は学校へ行こうと思っていたのに、当日の朝になると体は不調を起こしてしまい、結局は行けなかった。私はまた自己嫌悪に陥っていた。そんな私に母は「学校へ行かないことは、悪いことをしているわけではないのよ。自分の意志で行かないのだから、もっと堂々としていなさい」というようなことを言ったのだ。「私のしていることは悪いことではない」、その言葉はそれまで「悪いことをしているのだ」と自分を責め、自分を追いつめていた私には、とても衝撃的な言葉だった。

それから私は、母と堂々と買い物に行ったり、夕方からや休みの日には、友人と遊びに行ったり、中学へ毎日通っている子たちと何も変わりない生活を送っていった。私は昼間自宅にいて、本を読んだり、勉強をしたりしていた。また父は家での私の様子を見ていて、それまで学校に行かない私に特に何も言わなかったのだが、ある日私にワープロを与え、使い方を教えてくれた。それは当時の私にとって興味をそそるもので、ワープロを使えるようになったのは、とても良いことだった。私は決して勉強が嫌いで学校に行かなくなったわけではない。勉強をするのは楽しかったし、友達と遊ぶことも楽しかった。「学校」という所も嫌いではなかった。ただ、だんだんと「中学校へ行く」ということに意味を感じられなくなっていった。

 

規則正しい生活を心がける

「家にいるからって、ゴロゴロしていてはダメ。朝は起きて昼間は活動して、夜は寝る。規則正しい生活だけはしなさい」ということだけは、母から何度となく繰り返して言われた。そして母は、常に私の意思を尊重してくれた。しかし、今思い返してみて「何も言わずに見守ってきてくれてよかった」と心から思えるが、当時の私としては、少し甘えた言い分になるかもしれないが、「もっと、無理にでも学校に行かせようとしてくれたら、通えるようになっていたかも?」と思う気持ちもあったのも事実だ。けれど実際に母がそういった行動をとっていたとしたら、私はこの不登校経験で得た、数々の大切なものを得ることができなかったかもしれない。そう考えると、やはり母の行動は正しかったのだと思う。

一見、「見守る」と「放っておく」とは似ている感があるが、実際は全く違う。母は忍耐強く、私の変化を見守ってきてくれた。私はその時々で思っていることを母に話し、悩んでいることを告白していった。母は自分からは何も、「こうしなさい」などとは言わなかった。唯一言ったことは、「規則正しい生活をしなさない」ということくらいだ。その他は本当に何も言わなかった。その母の深い愛情が私に精神的な安定をもたらし、もう一度「中学校へ行く」という意味を考えさえた。

 

 

 

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