自分について
私の不登校経験について記述するにあたって、まず初めに書いておきたいことがある。それは、「私は決して、不登校経験を後悔していない」ということだ。不登校経験を克服してから約10年が過ぎたが、その間「不登校経験を恥じたことは一度もない」と断言できる。不登校は決して「恥じるべきこと」ではないのだ。私がこうしてハッキリと言うことができるのは、やはり私をずっと支えてきてくれた母の影響が強いであろう。
私は3人兄弟の長女(第1子)に生まれ、3歳離れた妹、そして5つ離れた弟がいる。そして父は会社員。母は当時は専業主婦をしていたが、私を産むまでは小学校の教師をしていて、私が高校生になった頃に臨任の小学校の教師として教職に復帰した。現在も某小学校に赴任している。
私たち家族は、一般の家庭よりもかなり仲の良い家族であるといえるだろう。娘の私から見ても夫婦仲は良く、兄弟仲もとても良い。現在でも、高校生の弟もいっしょに家族で買い物にも行くし、洋服もいっしょに選んだりもする。弟とふたりきりの時も、それぞれの部屋にこもるわけでなく、リビングで友達や恋愛の話もする。5歳離れた弟と、そういったふうに接していることを友人に話すと驚かれるくらいだ。
また、現在アメリカ留学中の妹とは、ほとんど毎日e-mailで連絡を取り合ったりして、互いに近況報告や相談をし合っている。妹が留学する前も、姉妹で買い物に行ったり映画を観に行ったりもした。夜になるとどちらかの部屋で一晩中語り合ったりもしていた。妹や弟とは不登校以前から仲が良く、それは不登校期間中もその後も何も変わらなかった。変わらなかったというよりも、私が不登校を経験したということで、兄弟としてますます深く接していったような気もする。
そして兄弟以上に、母とはもっと語り合いをしている。母とは「親子」という関係よりも「良き理解者」「友人」という感覚であり、さまざまなことを話すことができる。それは不登校以前から変わっていない。そして私は現在、中学・高校の教員を目指している。不登校経験も教員を目指すきっかけのひとつであるが、やはりさまざまな意味で、母の影響は強いのだ。
中学校への不安感と担任不信
このような、周りから見たら何も問題のないような家庭環境で育ってきて、たくさんの愛情を注がれてきた私が、なぜ「不登校」になったのか。その理由は、正直いまだに私自身きちんと説明することはできない。