人まねではない、自分だけの人生を歩んできたという自信が私にはあった。だから後悔もない。きれいごとではなく、私にとって結果的にはBETTERな選択をしてきた。だから今の私があると思っている。自分が高校を中退したからといって、「みんな高校なんてやめちまえよ!」なんて言う気はさらさらない。どっちに転んだって、楽ではないことを知っているから。どっちに転んでもつらい状況で、どっちならばがんばれるのか。現実を生きていけるのか。それは人それぞれだと思うし、答えなんてないと思っている。
不登校は病気じゃないし、そんな表面的なことばかり注目しすぎるのはどうかと思う。もっと見るべきところがあるはず。核は、そんな表面的なところだけさらったって見えてはこない。
そして、変わった変わったというけれど、人間の本質はそう簡単に変わるものではない。変わったのはものの見方だったり、枠の幅だったり、そんなものではないかなと最近思う。それがきっと大切なことで、そこだってそう簡単に変われるものではないのだけれど。
私のこの過去の一部を、サクセスストーリーとして片付けられてしまうことには、とても抵抗がある。将来的にどう転ぶかなんて、その時になってみないとわからないのだから。私にもこれからがあるのだから。
今私は、父にも母にも感謝こそすれ、恨みつらみの感情を抱くことはない。「いい子」をおしつけられて育ったことも、マイナスばかりではないと思えるから。父母に作られた枠を壊すのも、立て直すのも、捨ててしまうのも私の自由なのであって、もう今の段階で、「あんたたちのせいで私は生きにくい」とは言えない気がするのだ。
父も母も精いっぱいやった結果がこれなのだ。あとは、──自分次第でしょう?