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センターでは、やはり思うように点数はとれなかった。しかしその頃私はなぜか強く信じていた。E判定でも受かるかも知れないんだと。怖いくらいに。…けれど、センター重視の志望校ではやはり無理だった。もう1年浪人が決まった。もう逃げられないと思った。

家庭教師をしてくれていたTさんも就職が決まり、遠くに行くことになった。ものすごく心細かった。みんなどんどん、私のもとを離れて行ってしまう。自分の人生を歩んで行く。

本当にこの1年が勝負の年だと実感した。情緒もある程度落ち着いてきていて、現実も見え始めていた。これ以上親に心配や負担をかけられないという思いもあった。

 

本当の成人式

そしてその1年は、本当に精いっぱいやった。毎日自習室にこもって、ひたすら問題を解きまくった。時間はいくらあっても足りなかった。必死だった。とにかく次に進みたかった。ずっとここに踏みとどまっていたくはない。強くそう思っていた。気分転換にと、年の近かった塾の先生には、よくドライブに連れて行ってもらった。深い話もたくさんした。伯母や親友などにはよく手紙を書いた。書くことで発散した。不安定になっても、浮上するスピードが徐々に速くなってきているのがわかった。さまざまなことを考えながら、文章に書き留めながら、それでも毎日ひたすら勉強をした。前に進むために。充実感があった。何もしないほうが不安だった。努力が結果になって現れ始めたのは、秋頃だった。諦めなかった。

次の日がセンター試験だったので成人式には出られなかったけれど、私の成人式は、3月の誕生日だと決めていた。その日は志望校の合格手続きの日でもあった。

センター試験ではいつもどおりの結果を出せた。志望校一本に絞っていたので、前期も後期もすぐに願書を出した。

結果。前期日程で志望校に合格した。

合格発表のレタックスが来て、私の受験番号は1番だったのですぐに合格がわかった。

母は泣いた。私はもらい泣きをした。

みんなに結果報告をした。みんな本当に喜んでくれた。泣いてくれた人もたくさんいた。その時思った。私の宝物だ、と。こんなにも私のことを思ってくれる人がいる。こんなにも守られていた。母も言った。「こんなにもたくさんの人が、みんな本当に喜んでくれる。あんたの宝物だよ。あんたはすごいよ」

そして予定どおり、私の20歳の誕生日は、合格手続きと本当の成人式になった。

 

―今だから言えること―

こんなふうに書くと、目標の大学に入学できて、じゃあもう万事めでたしめでたし、なんの問題もなくバラ色の毎日を送っているのだろうと、やはり思われてしまうのだろうか。

完璧な人間なんていない。完全体なんてない。悩みは次から次へと生まれるし、不安定にだってなる。いまだに。でも私は生きていたいと思う。あの時死ななくてよかったと心から思える瞬間が、必ずあることを体感したから。

 

 

 

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