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中退を考える

こんなに守られているのに、どうして自分はひとりぼっちで、世界でいちばんつらくて、死んだほうがマシだなんて思っていたのだろう、と思い始めたのもこの頃だと思う。もしも私が死んでしまったら、お母さんはどうなってしまうんだろう。こんな私を受け入れてくれる大好きな人たちはこんな私のために、きっと涙を流すだろう。私は死ねない。生きていかなくてはいけない。すごく、すごくしんどいけど。私はひとりぼっちじゃない。

けれど週1回学校に行くことは、命がけだと言っていいくらい、つらい行動だった。どんなに精神的に支えれくれる人たちがいてくれても、教室の戸を開けるのは私。だれもついてきてはくれない。

こんな納得のいかないところに、どうしてこんなに固執しなければならないのだろうと、日に日に思えてきた。この学校にいると管理される。自分と向きあうこともままならない。どうして悩んじゃいけないの?容易に管理させない人間は使い物にならないみたいに扱われる。ロボットじゃない。私は人間なのに。

もう辞めようと思った。こんなところで、納得いかない2年間をさらにまた送るのなんてまっぴらだと。

学校に行くのも、行かないのも、どっちに転んだってつらい。同じつらいんだったら、私は自分の納得のいく方法で大人になってやろうと思った。大学には行きたいけれど、大検というのもあるらしいし。学校に責任転嫁して、自分の人生が思うようにいかなかったなんて言い訳で自分を終わらせたくはない。私のプライドは、やっぱり高かった。心の中では中退の意志が固まりつつあった。

 

心の叫びを聞いて!

母親にも少しずつ気持ちをぶつけられるようになっていた。家出を繰り返して、自分が本当に必要とされているのかを無意識のうちに試したりしていた。急に情緒が不安定になって、部屋中を紙吹雪にして大声でわめいたりもした。たまらなかった。わき上がってくるエネルギーを、うまく発散できなかった。わかってもらえない。いちばんわかって欲しい人にわかってもらえない。「私はいい子じゃないの!」「お母さんのモノじゃないの!」、間接的に訴え続けていた。母親も疲れ果てていた。「私だってつらいんだから!」「私のほうがつらい!」、毎日のようにぶつかりあっていた。

地元の新聞社に投稿記事を書いたりもした。「心の叫びを聞いて!」と、実名で出した。母親は「覚悟したほうがいいよ」と言った。どんな反響がくるかわからない。けれど、私は怖くなかった。まちがったことは書いていない。自信があった。自分の書いた文章に。

記事が載って反響もきたけれど、それは私にとって悪いものではなかった。新聞社の若い記者から手紙をもらった。「あなたの文章で企画書を提出する決心ができた」と。「学校論スペシャル」というその企画は、その後、地元の新聞の一コーナーとなっていた。このことも、私に自信をつける大きなきっかけになったと思う。

中退するか留年するかを決める期限が来た。毎晩酔っ払っていることに腹を立て、何度かぶつかった父親と、初めてまっすぐ向き合った。「中退したい。私は自分の納得行く方法で大人になりたい」

 

 

 

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