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何も話していないけれど、セーラー服を着てうつむき加減に歩いていた私に、何かを感じ取ってくれたのだろう。

あの日のことは、きっとずっと忘れないと思う。

 

私は病気じゃない

どうどうめぐりの毎日の中で、少しは動かなければ、という気持ちが芽生えてきた。カウンセリングというものにも少し興味が出てきた。病気じゃないけど、話を聞いてもらえるのなら行ってみてもいいかなと思った。母親はそれならばと、早速私を連れ出した。秋の終わり頃だった。病院の帰りに、母とドライブと買い物ができることが楽しみでもあった。正直、週1回の精神科の思春期外来のカウンセリングは、おもしろくもなんともなかった。担当医はしばしば居眠りをしていた。人の話をちゃんと聞いていないな、と思っていた。ロールシャッハテストやバウムテストもそこで受けたけれど、結果みたいなものは教えてもらえなかった。精神安定剤と睡眠薬は一度だけ出してもらった。でも飲むつもりはなかった。私は病気じゃないから。

けれど、長期欠席の場合学校に提出しなければならない診断書には、「自律神経失調症」と書かれた。便利な病名なんですよ、と担当医は言った。「あなたを病気だと言ってるわけではないんです」。病気でなければ学校は休んではならない。そのために私は病気にさせられてしまう。こんなにいろんなことを考えているのに。自分としっかり向き合って悩んでいるのに。学校に行ってロボットみたいに勉強だけしても、何も大事なことを考えられないほうがよっぽどどうかしている。そんなところに帰ってビョーキになりたくない。

 

支えてくれた人たち

たまに伯母に電話をした。気持ちを吐き出した。伯母は否定せずに聞いてくれた。伯母もいろいろ動いてくれているようだった。不登校と名の付くものには目を通し、講演があれば聞きに行き、さまざまな本を読んでくれていたようで、母にも何冊か送ってきていた。とにかく伯母が、私に早く元気になってもらいたいと思ってくれているのが私にも伝わってきた。伯母は大阪に住んでいるので、そうそう会えないのだけれど、それでもいちばん自分の深い部分を話せる大人だった。

たまに親友の家にも行った。親友のSは違う高校に通っていて、そこはいちばんの進学校だった。勉強や部活で忙しいのに、会いに行けばいやな顔ひとつせずに受け入れてくれた。気のきいた言葉をくれるわけではないけれど、それでも必ず私に寄り添っていてくれるという安心感があった。彼女に会うと元気が出た。「あなたが学校に行っていようがいまいが、私にとってあなたはあなたでしかない。私はあなたがあなたらしくいてくれればそれでいいと思っている」と、本気で言ってくれた。「あなたと話すことで、私はいろんなことを考えるチャンスを与えてもらえる」とも。

もうひとり、同じ団地の下の階に住んでいるY君という親友も私の大きな支えだった。彼は彼でまた違う学校に通っていたのだけれど、家に会いに来てくれたり、いっしょに外を散歩しながら深い話をよくした。彼も言ってくれた。「あなたは強い人だよ」「もっと自信を持ったほうがいい」

そんなふうに、私には心強い味方がいてくれた。

 

 

 

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