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私は、ケアを考えるとき、良い反転もあれば辛い反転もありますが、そういう反転がケアする人とされる人の間で、あるいはケアする人、ケアされる人自身の中で起こるということを見て取る必要があると思っています。

中川幸夫さんという前衛華道家から聞いた話をご紹介します。現在82歳でご自身も障害をお持ちの方ですが、どこの流派にも属さず、弟子ひとりも持たずやってこられた方です。彼は花が最後に死ぬところを作品にする、つまりひとつの命を最期まで見届けるということをした素晴らしい華道家です。

彼は、自分の生け花のことをこんなふうに表現しています。

「花が目の前にある。そしてたたずまいが生真面目であると、ちょっとくすぐってやる。そうすると花はイヤイヤをする。そして乱れて危うくなる。そのときにその花の乱れを自分の中心にまで取り入れることができるかどうかが、生け花になるか、ならないかの違いだ」と。つまり、相手の命の乱れというものを見届けて、そしてその乱れによって自分自身が乱れてしまっているかどうか、ここに本当の生け花ができるかどうかがかかっていると言うのです。

そういう意味では、ケアする人は乱れに乱れるわけです。「ああ自分は何もできなかった」という痛恨な思いに苛まれたり、患者さんが全快されて出て行かれたら「ああホッとした」と思ったり、そういうことが絶えず起こって心が散りぢりに乱れます。また、答えのない問いに自分自身が責め苛まれて、どうしても逃れられない、そういう苦しいときに人は乱れるわけです。「聴く」というのも、その乱れを「聴く」ことであり、その乱れを自分のいちばんの核心で受けとめるということ、つまり自分が乱れるという怖い行為でもあると思うのです。そのとき怖いけれどもその乱れを受けとめ、自分自身も乱れる、そういう乱れの中で何に触れるかが大切なのではないでしようか。

そのとき、逆によくないのは、乱れを閉じたり、乱れを自分流に「こういうことなんだ」と解釈したり、相手の乱れを「こういうことで苦しいんですね」と言葉で覆い尽くしてしまうことではないでしょうか。

 

 

 

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