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5 反転 〜乱れの中で何に触れるか〜

ケアする人は、ケアすることで他人の「宛て先」になれると言えます。「聴く」という最も受け身に見える行動の中で、その人が苦しい言葉を漏らしてくれるのは、その人に関心を持っている他人として、その人のことが知りたいと思っている他人として、無条件に自分を認めてくれるということです。つまり、ケアするということは、ケアされる人の意識や言葉の「宛て先」として認められ、選び出されるということなのです。

条件なしでケアされるということがいちばんのケアだとすれば、そのときケアされる人にとっては、「私がいる」というただその事実だけで自分を「宛て先」にしてもらったという経験です。

すると、ケアされる人の側から、ケアする人の側に「宛て先」として送り返されるということが起こります。つまり、「この人だったら言いたい」「あなたに聴いてほしい」という形で、カウンセラーだからとかナースだからといった属性ではなく、私だから言葉を漏らしてくれるという、逆の贈り物をもらうような経験をすることができます。このような、ケアにおける反転という観点は、ケアではとても本質的なことです。

しかし、この観点は良いことばかりではありません。たとえば一生懸命お世話をしていると、相手がその思いを受けとめてくれないと逆にイライラしてくることもあります。「せっかくここまで一生懸命してあげているのに、ちっとも分かってくれない」とか、一生懸命やっても気持ちが通じないだけでなく、何の力にもなりえていないと感じ、ケアすることがケアする人自身を責めてしまうということもしばしば起こってしまいます。それがエスカレートすると「どうして分かってくれないの」とか「もういい加減にしろ」というような形で、憎しみにまで変わってしまう場合もでてきます。

 

 

 

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