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しかし、自分の言った、「ウン」というたった一言が相手をこれほど怒らせたことで、勇気を振りしぼってつぶやいた一言が相手を動かしたカギだということを、痛かったけれども確認できたのです。そういう意味で、その子は、自分というものを「あなたはそうなの」と言葉で認められるより、もっと強烈に、確実に他人を動かす自分がいたということを確認できたと言えます。だから痛い思いをしたかいがあるわけです。

ところが最後のお母さんと子どもとの関係は否認の関係です。お母さんとは違う他人として自分を主張したときに、「それはあなたの思い違いで、本当のあなたはそうじゃない」と否定されると、子どもはお母さんという他人の他人になりきれず、再びお母さんの中に吸い込まれてゼロになってしまったと言えます。これが繰り返されると、子どもは自分が何かを感じたり思ったりする度に、「これは間違いなんだ」「これは偽りの感じ方なんだ」と、絶えず自分を否定していかざるをえなくなってしまいます。

私たちは自己実現とか、自己啓発とか、自分探しとか、いろんなことを言って、自分の素質や、人にない能力を一生懸命探して、自分にしかないものを探そうとします。しかし、自分にとっていちばん大切なことは、そんなことではないのではないでしょうか。

人になくて自分にしかないものは絶対にありません。たとえば、100メートル走では自分がクラスでいちばん早い、クラスでは計算がいちばん早いといっても、そんな能力は、その上のそういう人たちばかり集まったところへ行ったら、ビリになってしまって劣等感の理由になってしまうかもしれません。

私たちは自分の中に何か他人と違うもの、固有のものを探しつづければ必ず挫折します。それより大切なのは、自分がここにいるということを、感じることではないでしょうか。誰か、ある特定の他人の「宛て先」であるということ、つまり他人にとって、他の誰かにとっての無視できない、意味のある他人でありえているということを感じられたときに、私たちは本当の意昧で「自分がここにいる」ということを感じられるのではないでしょうか。

 

 

 

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