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「よりによって、どうしてこの自分がこんな病気にかかる羽目になったのか」「一生懸命生きてきたのにどうして私ばかりがこんなに苦しまなければならないのか」「もしこのまま家や職場に帰ることなく終わってしまうのなら、自分の人生って何だったんだろうか」「ああ疲れてしまった、もう休みたい」そういうつぶやきに対して、私たちは誰ひとり答えを出すことができません。

今回のテーマは「ケアする人のケア」ですが、ケアされる人だけではなく、ケアする側のつぶやきも、やはりケアの現場にはあるでしょう。たとえばある患者さんを前にして、看護にあたっている人は「この人が生きていることは本当に幸福なんだろうか」と考える。そして「そんなことを考えてはいけない」「むしろそれは安易なことだ」と、また自分を責めてしまう。そういう問いかけが毎日のようにあるでしょう。あるいは、「私は結局何もしてあげられなかった」「本当の意味でこの人の支えにはなってあげられなかった」という悔いに苛まれることもあるでしょう。そういうことが何度も重なると「私がここに居ることに本当に意味があるのだろうか、もっと他の人がここに居た方がいいのではないだろうか」と考え、「どうして私ばかりがこんなに苦しい目にあわないといけないのか」と同じような悩みにとらわれることにもなります。

このような答えのない問いが、つぶやきとし出てくるようなシーンで、「聴く」といういうことがいったいどういうことなのか、そのときいったい何を聴いてあげられるのか、何と言い返してあげられるのかというたいへん難しい問題があります。

しかし、そういう答えのない問い、おそらく誰も答えを出せないと分かっているような問いを、どうしても考えざるをえないのが人間なのだと思います。

最近、評論家の大宅映子さんが関西大学で講演された記事を読みましたが、その中で次のように、明快に文学部の定義をされていました。

「死ぬことが分かっていてどうして死なないでいられるんだろうか、そのことの意味を根源的に考えるのが文学部の仕事だ」

 

 

 

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