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2 「聴く」ことの力 〜他者を理解するということ〜

「聴く」という行為は多くの人が日常的にしていることですが、他人の言葉をそのまま聴くというだけではなく、「他人を聴く」、つまり他人の存在をそっくりそのまま「聴く」という営みをこそ本当の意味で「聴く」ことだと私は考えています。そう考えると、「聴く」というのは案外難しい行為なのです。

私たちは、自分の中に苦しみを抱え込んでいる人びとの話を聴くときに、聴き過ぎるか、遠慮し過ぎるかしてしまいます。何かひとつ言葉が漏れてくると「それはどういう意味か」とか「どうしてそういうことしたの」とか、根掘り葉掘り聴きたくなるのが私たちの聴くことの常です。また逆に「そんなことまで聴いていいのかなあ」と、自分の言葉が相手を傷つけないようにと、抑制し過ぎて、遠慮し過ぎることもあります。

人の話を聴くときに、近寄り過ぎたり遠慮し過ぎて、うまく距離感が取れないという経験は、ケアの場面に限らず日常的によくあることです。話がスムーズにキャッチボールできないとき、私たちは、より正確に理解し伝えようとして、言葉や質問をどんどん重ねてしまいがちです。ところが、このやり方は多くの場合マイナス効果になり、言葉を足せば足すほど隔たりが強く意識され、心が離れてしまうことになります。

私たちは、コミュニケーションがうまくいかないときに、相手を理解して相手と同じ気持ちになろうという意識が働きだします。そのとき、相手の気持ちが分からない、同じ気持ちにならないと、自分はまだ理解が足りないと焦ってしまいます。

しかし、人を理解する、あるいは人の気持ちや言葉を理解するということは、本当にその人と同じ気持ちになることでしょうか。あるいはその人と同じ感じ方、考え方になることでしょうか。私たちはそういう思い込みに強く縛られているような気がします。

相手の言っていることが分からないときには「それはどういう意味か」と問い直したり、「それはこういうことですか」と解釈してしまうのは、「聴く」ことにおいては非常に危ういことです。

 

 

 

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