中川先生はこの5番目の答えがいちばん大切だと述べています。「聴く」という行為は単純に何もしないで耳を傾けるという受動的な行為ではなくて、語る側にとっては「言葉を受け取ってもらった」という確かな出来事だと言うのです。そのうえで、中川先生は次のように書かれています。
「患者は口を開きはじめる。得体の知れない不安の実態が何なのか、聞き手の胸を借りながら捜し求める。はっきりと表に出すことができれば、それで不安は解消できることが多いし、もしそれができないとしても、解決の手掛かりは、はっきりつかめるものである」
(中川米造『医療のクリニック』)
聴いてもらうということは、言葉を受けてもらったという体験であり、語ることによって、自分に取り付いている不安の実態が何なのかを、聴き手の胸を借りながら探索しはじめるということです。
そう考えると、直接何かをするのではなく、ただじっと見守っている、あるいは何もしないでただ傍らにいるということだけで非常にポジティブな力を生み出していくような場面が、案外多くあるのではないでしょうか。
たとえば生まれて初めて幼稚園で子どもだけで集合させられる場面を思い浮かべてください。それまでずっとお母さんと手をつないで生きてきて、他人の中に入っていくという経験がなかった子どもが、自分と同じような別の子どもの集団の中に入っていくのはたいへん勇気の要ることです。先生が講堂の真ん中で「皆さん、こちらにいらっしゃい」と言うと、ほとんどの子どもが後ろをキョロキョロ見るわけです。お母さんがまだいるかなとか、ちゃんとこっちを向いてくれているかな、と後ろを振り向きます。そして、お母さんの視線を感じることで、逆にその人に背中を向けてみんなの中に入っていくことができるのです。不思議なことですが、見守ってもらっているということを確認することで、逆にその人に背を向けて一人になれる―そういうことが私たちにはしばしばあります。