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だから、幸福の「手前」にいるというわけです。しかし、そのようなとき、私たちは自分が<誰かのお陰で生かされている>ということもまた忘れてしまっています。「お陰様」という言葉が持つ<ケアの精神>に目を向けるとき、私たちの生活がいかにケアに満ちているか知ることができるでしょう。重要なのは、私たちが自らの<生>と誰かの<生>と<あいだ>にケアの関わりが成立していることに気づくことによって、自らの<生>をより際立たせ、より輝かせることができることなのです。

あらためてもう一度、問いかけたいと思います。なぜ私たちは誰かのことをケアしようとするのでしょうか?私は、ケアする私たちもケアされる誰かも、互いに<幸せ>になりたいから、<幸せ>になって欲しいと思っているからだと思います。もちろん、現実のケアの場面では、私たちは意識して自ら<幸せ>になろうと思って、誰かをケアしているわけではないかもしれません。困った人や傷ついた人が目の前にいれば、自然に身体が動いてしまう人もいれば、「もしかしたら、自分の行っているケアは偽善かもしれない」という意識を抜け出せないで、苦悶しながらケアを実践している人もいるかもしれません。また、「ケアされる人が喜ぶ顔が見たいから、誰かの役に立ちたいから」と素朴に思ってケアに携わる人もいるかもしれません。

ケアの目的は、人によっていろいろあるでしょう。しかし、根本的に言ってしまえば、私たちは、ケアすることを通じて、ケアされることを通じて<幸せ>になりたいのです。<ケアする人>も<ケアされる人>も、ケアという関わりを通じて互いに少しでも<幸せ>になることが目指されているのではないか。おそらく、ケアの目的があるとすれば、それは<互いが幸福になること>にあると私は思います。そして、他人ばかりでなく自分自身も<幸せ>になるためには、自己も他者も互いの<魂>に敬意を払い、その<スピリチュアリティ(spirituality)=魂の存在性>をケアし、尊重することが必要なのです。

そして、ケアを通じて、私たちは互いの<スピリチュアリティ>を尊重することが、私たちの<幸福>を促進することにつながり、ケアを介して互い<生>が際立つのです。

 

 

 

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