そして、自分の弱さ、自分の<傷つきやすさ>に気づきながらも、私たちは立ち止まらずに、とにかく生きている限り、何が何でも生きていかなければならない。辛い経験や、悲しい人生を乗り越えて生きていかなければならない。私たちは、「いろいろなことで傷つくけれど、その傷は必ず癒えるときがくる」と信じて生きていかなければならない。そのように信じられること、信じて生きていくことこそ、私がここで強調したい<強さ>であり、<頑健さ>です。私たちは、確かに<傷つきやすい(vulnerable)>けれど、<フラジャイル(=もろい存在)>ではないのです。
それゆえ、このような観点から見た<ケアの意昧>とは、私たちの<傷つきやすさ>をサポートし、<エンパワーメント(empowerment)>することにあります。ケアを必要としている人たちは、さまざまな辛い経験の積み重ねによって傷ついています。だからこそ、<ケアする人>は、ケアを通じて、傷ついた人の持っている<資源としての頑健さ>を引き出してあげる必要があるのです。その人の持ち前の<頑健さ>が何かをきっかけにして傷つき弱くなってしまったために、その人は生きていくことが辛くなっているだけなのです。それゆえ、<ケアする人>は<ケアされる人>に対して「力を吹き込む(empower)」必要があります。
ただ注意しなければならないのは、<ケアする人>はあくまで<ケアされる人>が自分の生を生きていくために<援助する>だけであり、<ケアする人>が主導権をもって<ケアされる人>を苦境から引き上げるのではないということです。また、<ケアされる人>も、能力が劣っているから、何らかの形で助けを必要としているわけでもありません。<ケアされる人>自身が、何か辛いことで傷つき、そのために人生を蹟(つまず)いてしまったかのように錯覚するために<自分への配慮(care)>が行き届かずに、生きにくくなっているだけなのです。
それゆえ、<ケアする人>は、<ケアされる人>が十分に自分の力で、自分の強さで生きていけるように支えるケアをすれば十分です。