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そして、自分が何のために生き、何のために<そこに>存在しているのか、自分でも分からなくなってしまうでしょう。

ケア関係が成立している場合にはとくに、<ケアされる人>は、自分が存在していること、生きていることで、誰かの迷惑になっているのではないか、誰かに負担をかけているのではないかと考えることが多いのではないでしょうか?自己の存在を否定し、自己の生を消極的にしか評価しなくなったとしたら、私たちは絶望してしまうかもしれません。他方、<ケアする人>も、ケアが一方的な仕事として日々の生活のなかで固定化されていくうちに、本来のケアの精神を失い、抑鬱状態(depression)に陥ることもあるでしょう。そのようなとき、私たちは自らの存在の希薄さを実感しています。

自分が生きている意味や存在している意味を自らに問いかけるとき、自分の人生が無意昧なものに見えてきたり、もっと楽しくて幸せな生き方があるのではないかという、現実を逃避する考えを持ったりするようなとき、私たちは、自分自身をケアすることを忘れ、バーンアウト(燃え尽き)症候群に陥っています。また、社会制度のなかで<ケアする人>をケアする体制が整わない現在では、<ケアする人>は性も根も尽き果てることになりかねません。しかし、だからといって、そのような状態で誰かをケアしたとしても、それは本来の意味でのケアではありません。<自己へのケア>を欠いた<他者へのケア>は、やはり、偽物とは言わないまでも不十分なケアでしかありません。

「ケアの倫理」の立場から言えば、私たちはつねに誰かに自らの存在を認めて欲しいのです。私たちは、<私がここに居ること>、<私がここで生きていること>を全面的に肯定してもらいたいと思っています。私たちは、それほど強い存在ではありません。いつでもどこでも、私たちは容易に抑鬱状態に陥り、存在の希薄さのなかで苦悶する危険性があります。だからこそ、自分の存在を肯定し、誰かに自らの存在を肯定してもらうことが必要なのであり、自分を含めた誰からでも<ねぎらいの言葉>を必要としているのです。それゆえ、<存在へのねぎらい>は、私たちが生きていくための意昧を提供する重要な実践であると言えます。

 

 

 

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