第3章 インドネシア造船業の現状
3-1 造船業界の発展経緯および生産能力
インドネシアの造船産業は1960年にインドネシア政府により国有化された国営企業が大きな役割を担っている。オランダ植民地時代にそれらの会社は修繕ヤードであったが、国有化された後、ヤードは復旧、近代化され、新造船を建設する能力を持つ造船所となった。国営造船所の数は民間の造船所と比べて非常に少ないが、設備の規模と能力は大きい。国営造船所数は全体の1.5%にすぎないが、年間生産量は全体の60〜70%を構成していると推定される。
インドネシアの二大造船所は国営造船所で、その1社であるPT. PALはインドネシア東部スラバヤに造船所を保有し、60,000DWTの新造船建造能力と40,000DWTの修繕ドックを持っている。もう1社のPTDKBはジャカルタに造船所を有する他、チレボン、セマラン、パダン、サバン、ベラワン、バンジャルマシン、バンカに支店を有し、30,000DWTの新造船建造能力と30,000DWTの修繕ドックを持っている。
第1次5ヶ年開発計画が1969年に始まるまで、インドネシアの造船所における当時最大級の新造能力は2,000トンであったが、大半が300トンまでの沿岸貨物船、タグボート、艀など小型船を建造していたにすぎない。船舶修繕では既存のドック能力に応じて2万トンまでの船舶の修繕が行われていた。しかし、1969年以降2000年に至るまで、インドネシア経済の成長とともにインドネシア造船産業は様々なタイプとサイズの船舶を建造する注文を受けるようになった。
インドネシア政府は、1983年に前述のカラカジャヤ国内船近代化計画を導入し、国内輸送用の、3,000DWTから4,000DWTの貨物船56隻を建造することとなっていた。さらに1990年代には、国際貿易用の大型船舶(1万〜4万DWT)の船舶を建造するプロジェクトを開始した。また、国営石油会社ペルタミナ向けの長期タイムチャータープログラムなどの造船計画があった。しかし、これらの計画は、財政的な理由で当初計画された通りにはすすまず、カラカジャヤ国内船近代化計画では、1997年の経済危機勃発時点で、まだ15隻が建造されていなかった。
インドネシアでは造船業に関する生産統計等が発表されていないため市場規模などは不明である。参考までに、2000年11月にマレーシアのランカウイ島で行われた、アジア太平洋造船専門家会議に提出された資料から抜粋する。
→ 造船所の数:240社、うち15社は大手・中堅企業
→ 投資額:2兆4,383億ルピア
→ 従業員数:32,000人
→ 生産能力
新造船:年間18万GRT
修繕:年間360万GRT