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19世紀に工業と農業が共存し、自己充足性が高まったとはいえ、米国の海運が不要となることはなかった。ヨーロッパとの間の貨物輸送は経済の進展と共に加速度的に増大し、米国の東岸と西岸の間の貨物輸送も大陸鉄道が開通するまでは海運に頼らざるをえなかったが、植民地時代のニューイングランドの様に海運業が国家経済の根幹に貢献することはなくなっていた。

しかし20世紀に入り、米国海運業は国家安全保障と世界平和維持のために大活躍することになる。

1898年の米西戦争は米国のフィリピン、グアム、プエルトリコの領有を認め、さらに米西戦争中にハワイが併合され、米国は歴史上始めて海外権益保護が必要な立場に立たされ、そのための大海軍の保持とそれに見合う商船隊が必要となった。

1904-5年の日露戦争の際に、米国は日露いずれかが大勝して満州を独占、南下して、いずれは自己の持つアジアの権益を侵すことを恐れ、ポーツマス講和条約の仲介の労を取った。1914年には太平洋とカリブ海を結ぶパナマ運河の海運、軍事上の重要性に着目して運河を開通させたり、1917年にはデンマークからバージン諸島を買収したりして、米国海運業にプラス要因を加えていった。

1914-18年の第一次世界大戦では、最初中立を宣言していた米国も、ドイツの米国商船隊に対する無制限潜水艦作戦が事実上米国に対する宣戦であるとして参戦し、参戦後は西ヨーロッパ連合国に多大の軍需物資を惜しみなく送り込んで連合国側の勝利を導いた。

米国は地理的に、第二次世界大戦前は大西洋や太平洋は外敵の進入できない広さを持ち、北は世界一長い無防備国境線で境を接する友好国カナダであり、南は米国に進入するほどの力を有しないラテン諸国で囲まれているので、海軍の場合と異なり国を守るための強大な陸軍は不要と考えられていた。したがって第一次世界大戦の勝利は、参戦した米陸軍の力というよりは連合国全体に物資を輸送した米国商船隊の力と言うことができる。

第一次世界大戦と第二次世界大戦の間に有名なジョーンズ・アクト(1920年)や商船隊に対する国家助成を定めた1936年商船法が制定され、徐々に米国商船隊の枠組みの形成が進んだ。

第二次世界大戦における米国商船隊の活躍は記憶に新しい。第二次世界大戦中、米国は戦時標準型貨物船を大量に建造(総トン数7,200トン/載貨重量10,920トンのリバティー型だけでも2,600隻建造)し、軍需物資の輸送にあたった。戦後これらの船は余剰となり、民間商船会社に払い下げられたり、政府保有船として保存されることになった。

 

 

 

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