2 米国海運業の概要
2-1 米国海運業の生い立ち
アメリカの独立宣言が発せられた1776年以前のアメリカは、イギリスの植民地であり、名誉革命後イギリス帝国の重商主義体制に統合され、航海条例によって本国が必要とする産物は列挙品目に指定され、本国にしか輸出できなかった。当時の海運業は貿易業者の兼業であったが、それでも米国の海運業はかなりな活況を呈していた。
特にニューイングランド地方では気候や土壌が農業に適さなかったため、海運業、造船業、漁業等、海と関係ある産業がこの地方に繁栄をもたらしていた。中部や南部は農業に適していたので、この地方の農産物をイギリスに送ったり、イギリスの工業製品を陸揚げする大西洋岸の諸港は繁栄していた。
特に貿易・海運業者が莫大な利益をあげることができたのは、英領西インド諸島を経由する三角貿易、いわゆる奴隷貿易であった。独立前夜の1773年イギリス全輸出量の16.1%、輸入量の12.5%が北アメリカからのものであり、同じく輸出量の6.6%、輸入量の24.8%が西インド諸島からのものであった。
アメリカ植民地を含め、イギリスの植民地貿易に従事する船舶はイギリス国籍の船でなければならなかったが、イギリス本国建造要件は無く、アメリカ植民地建造船もイギリス国籍とされたので、当時のイギリス・アメリカ間の貿易に従事する船舶は意外にアメリカ建造船が多い。その数はニューイングランドを含む北部では全船舶の4分の3、中部では2分の1、南部では3分の1に達していた。
独立当時のアメリカの工業といえば造船、製材、製粉程度であり、他の工業製品はほとんどイギリスからの輸入に頼っていた。
1763年航海条例を厳格に履行することにより、関税の増収を図ろうとしたイギリス本国との紛争をきっかけに、1774年フィラデルフィアで行われた第1回大陸会議で全イギリス製品の不輸入、不輸出、不消費を決めた大陸通商断絶同盟が結成された。イギリス政府も1775年8月、アメリカ植民地との全通商を禁止し、アメリカ船舶は全て拿捕され独立戦争が勃発した。
独立時の英国との紛争は、米国の貿易・海運業を一時どん底に落とし込むが、米国経済の基本がヨーロッパの工業製品を輸入し、米国の農業製品(主として綿花)を輸出して決済する構造である限り、海運業は必要であり1806年頃迄、米国の海外貿易は輸出入ともに空前の活況を呈した。