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電波を利用した軍事通信に関する情報は極秘であったので、資料があまり残っていない。太平洋戦争の戦闘行動開始を指示する“ニイタカヤマノボレ”は船橋送信所から4.175、8.350、16.700MHzの複数短波で、潜水艦には海中にもある程度進入する超長波を交えて指令された。

 

電波の測位・隔側への利用は、出発点から軍事技術である。1935年英空軍省はRobertson Watson-Wattに手紙を送り、電波を照射して敵の爆撃機を操縦不能にする殺人兵器を作れないかを打診した。1960年のレーザー光の発見前は、電波の第3の利用法であるエネルギー利用を兵器化することが真剣に考えられた。これらは第2次世界大戦後マイクロウエーブ(電子レンジ)、高周波加熱装置等の民生技術となって開花している。

さて、打診を受けたWatson-Wattの答えは、電波では如何に出力を大きくしても爆撃機の操縦者を運転不能にするほどのエネルギーを照射することは不可能であるが、電波を使って敵の爆撃機の接近を事前に察知し味方戦闘機が待ち伏せて敵爆撃機を撃墜すれば結果は同じであるというものであった。かくして、1935年Watson-Wattは世界最初の実用的レーダー(Radio Direction and Ranging System:RADAR)を完成させた。

 

1936年ドイツの小型戦艦シュペー及びイギリス巡洋艦にレーダーの初期のものが装備されたが、探知の距離、精度に問題があった。1940年には超短波を発生させるレーダーの心臓部ともいうべきマグネトロンの発明によりレーダーの精度は飛躍的に向上し、レーダーによる艦砲の射撃が可能となった。レーダーを射撃に用いた最初は、1941年5月夜間にドイツ戦艦ビスマルクがイギリスの駆逐艦に対して行なったものであるといわれている。

太平洋戦争では1942年11月11日サボ島沖を南下中の日本艦隊に対して米海軍が行った無照射レーダー射撃が最初で、最初の一発から命中しその後両海軍の力関係は大きく変わっている。

 

レーダーは、第2次世界大戦後も越地平線レーダーの開発やイージスミサイル・システムの中心的機能として発展し続けた。現在、前出の未来駆逐艦DD21の装備用として計画されているレーダーはMFR(Multi-Function Radar)及びVSR(Volume Search Radar)の2システムである。

MFRは水平線監視、射撃制御、目標イルミネーション等、VSRは水平線上の目標探知及び追尾、MFRへのデーター供与等に用いられる。1999年6月、レイセオン社はMFRの開発を1億5千万ドルで受注している。

 

電波の測位の利用法として舶用工業に最も関係深いのは、ロラン、デッカ、オメガ等の双曲線電波航法及び第2次世界大戦後人工衛星が実用化されてから開発されたNNSS(Navy Navigation Satellite System)、GPS(Global Positioning System)等の船位測定システムである。

 

 

 

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