モンロー主義はそれまでの米国の対外政策を具体化したものであるが、1914-18年の第1次世界大戦では最初不参戦であった米国も、ドイツの無制限潜水艦作戦が米国に対する宣戦であるとして1917年4月に参戦している。
第1次世界大戦では戦車や飛行機などの近代兵器が使用され、英仏側は90万人、ドイツ側は60万人の死傷者を出した。第1次世界大戦は列強の帝国主義的対立のなか、利益の再配分を求めた戦いであり、米国への影響は必ずしも大きくはなかったが、参戦後米国は西ヨーロッパの連合国に軍需物資を惜しみなく送り込んで西側の勝利を導いた。
第1次世界大戦後のベルサイユ条約で米国のウィルソン大統領が提唱した国際平和機構、国際連盟が設立されたが、不思議なことに提唱国である米国はこれに参加せず、その後日本、ドイツの脱退、ソ連の除名等平和維持機構としての役割を果たし得ずに第2次世界大戦に突入し、戦後国際連合にその地位を譲ることになる。
第2次世界大戦後これらの上記事情は一変する。戦後自由主義諸国で唯一の強大な軍事国家となった米国は、同盟国を同じ傘の下に置くため多くの援助物資を輸送できる強力な商船隊を必要とした。このため、戦後米海軍の輸送船の払下げを受けて、多くの商船会社が設立された。また、強大な海軍を維持する必要性が、自由主義諸国が世界的広がりを持つようになった第2次世界大戦後は一層高まることとなった。第2次世界大戦中新造艦や修理の中心となった海軍工廠に加えて、民間造船所も力をつけ、1972年には米海軍は合理化のためそれ以降全ての新造艦を民間造船所で建造することとし、海軍工廠の役割を艦艇の修理、改造、ロジスティックスに限定するとの決定を下している。さらに、8つあった海軍工廠は1990年代前半で4つに減らされているが、これらも軍事産業の民生転化としてとらえて細かく考察する必要がある。
元来、米国艦艇の舶用機器のうち蒸気タービン、ガスタービン、ボイラー、原子力推進機関、発電機、砲・ミサイル及び発射システム並びにレーダーその他の大型エレクトロニクス・システム等の大型機器は限られた民間メーカーに定常的に発注され、軸系やプロペラ等は海軍工廠内で内作されるのが普通で、海軍工廠の内作率は非常に高かった。1972年の新造艦建造の民間造船所への移行は、この舶用機器の調達地図を一部塗り替えることとなった。
1972年といえば、米国の初めてのガスタービン駆動駆逐艦スプルーアンス・クラス30隻が一括してリットン・インガルス造船所に発注された年である。舶用工業の分野では、現在では米海軍艦艇の大多数のプロペラを製作しているバード・ジョンソン社が1967年に米海軍から初めてフィラデルフィア海軍工廠で建造されたLST用の小型プロペラを受注した。それ以降、同社は米海軍からの受注を確実に増やし、上記スプルーアンス・クラスの可変ピッチ無音プロペラを一括受注することになる。