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この日、南軍海軍の装甲艦Merrimackはノーフォーク港で北軍海軍の木造主力艦Cumberland、Congress、Minessotaを次々と襲い海中の藻屑と化したが、北軍海軍の装甲艦Monitorがニューヨークから救援に駆けつけるまで北軍海軍は手も足も出なかった(参考資料2)。

 

一方当時の民生技術をみてみると、1838年4月長さ208ftの木造外車輪船Siriusが94人の乗客を乗せて初めて連続的に蒸気力を使用して大西洋を横断したとの記録が残っている。

その後船体は木造から鉄製を経て鋼製となり、大西洋横断客船の船体は急速に大型化する。

1958年に就航したGreat Easternは長さ608ftのスクリュー・レシプロ船であり民生用船舶技術の方が軍事技術を上回る側面を持っていた。

 

米国は地理的には国家安全保障という面から非常に恵まれた環境にある。第2次世界大戦前の軍事技術では大西洋や太平洋は外敵の侵入を許さない広さを持ち、北部は世界一長大な無防備国境線で境を接するカナダであり、南部のラテン諸国には米国に侵入する程の力のある国は存在しないので、長い間自国防衛のための海軍は不要であるとの考えが支配的であった。

しかし、19世紀末のハワイ併合、米西戦争講和によるフィリピン、プエルトリコの領有により海軍を著しく強化せざるを得えない状況となった。

このような恵まれた地理的条件から、米国は独立以来消極的中立主義をとってきたが、1823年の年次教書で明らかにされたモンロー主義は米国の中立政策を積極的なものに変えた。

 

米国の国家安全保障が軍事技術の発達により脅かされ米国が中立政策を捨てざるを得なくなったのは、第2次世界大戦参戦以降のことである。軍事技術的にみても、米国は第1次世界大戦に参戦はしたが、軍事技術的に大きな業績は残していない。せいぜい南北戦争で発達した米国のレミントン・ライフル銃が英仏に輸出されたり、ライト兄弟の発明した飛行機が初歩的に使用された程度である。また、第2次世界大戦初期までは太平洋島嶼における米陸軍は弱体であり、強化されたはずの海軍も守勢にまわる等の誤算をみせつけたが、周知のごとく急速に改善された。

第2次世界大戦後多くの国で台頭した共産党や左翼ゲリラはソ連の国際共産主義の支配下とみなされ、それを封じ込める政策をとった米国との間の冷戦構造は1990年代初頭まで続いた。

 

第2次世界大戦中に、世界の軍事技術は米国の安全保障を脅かすに充分な程に発達した。特に、大戦末期に広島や長崎に落とされた原子爆弾、ドイツが開発した液体燃料ロケットV2、ジェット機等は冷戦期間中に更に開発が進められ、固体燃料ミサイルとなりソ連の大陸間弾道ミサイルや潜水艦より発射される中距離弾道ミサイルとなり米国の安全を脅かすようになった。

 

 

 

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