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2. 軍事技術概観

 

2-1 世界情勢と軍事技術

 

前述のごとく、軍事技術とは狭義には兵器生産技術、広義には軍事に関する技術全般を指し兵器運用、戦闘法、兵站、補給、輸送、通信、情報等を含むが、本報告書では上記に加えて軍民両用技術のなかの軍用技術も含むものとする。

軍事技術は国家という単一開発主体が、多分野に、多量かつ多くの場合金に糸目をつけずに開発し、目的がはっきりしているためにある方向に極度に発達する可能性を秘め、また仮想敵国に技術内容を知られ対抗手段を開発されることを極端に恐れる特性を持っている。

 

軍事技術の歴史をみてみると、10世紀末宋代初期の中国で開発された火薬は火砲、火槍の形で兵器化され元軍の遠征でヨーロッパに伝わり、14世紀中頃ヨーロッパで発達した金属加工技術と合体して15世紀には手銃が出現、ヨーロッパ封建社会の崩壊や日本に伝えられて全国統一の一因となった。その後産業革命による小銃の大量生産、1906年のTNT火薬の発明は軍事技術としての火薬の位置を絶対的なものとした。

海軍は1840年代に英仏が蒸気推進スクリューを採用した装甲艦を建造した頃から近代化されたが、この頃までは民生技術先行であり、優れた民生技術が軍事技術に取り入れられていた時代である。

軍事技術が民生技術を離れて一人歩きを始めるのは19世紀中頃からである。

 

近代史において交戦国同士が国力の全てをかけて戦った最初の戦争は、1961-65年の4年間戦われた米国の南北戦争であるといわれている。南北戦争は内戦ではあるが戦死者合計618,000人の大戦争であり、米国独立戦争、第1次世界大戦、第2次世界大戦、朝鮮戦争における米軍戦死者がそれぞれ4,200人、115,000人、318,000人、33,000人であるのに比して戦死者が圧倒的に多く、米国にとって特別な意味を持った戦争であると共に軍事技術的にみても、鉄道や電信といった近代技術が駆使され、鋼製の艦艇や塹壕、鉄条網、連発式ライフル、機関銃、機雷、魚雷等の近代兵器が初めて投入された戦争でもある。

 

1861年4月12日の南北戦争開始時、南軍には海軍といえるものは無かった。しかし南軍の海軍長官に任命されたStephen R.Malloryは装甲艦所有の重要性を説き、1961年秋北軍海軍がノーフォーク港に遺棄した木造フリーゲート艦Merrimackに装甲を施し北軍海軍の脅威となった。

北軍海軍も装甲艦の重要性を充分認識しており、1962年1月には装甲艦Monitorを進水させている。Merrimack、Monitor共に蒸気レシプロ・エンジン推進スクリュー艦である。

Monitorは旋回砲塔をはじめとするパテントで保護された41の新式機器を搭載し、当時としては軍事技術の最先端をいく軍艦であった。しかし当時は未だ木造・蒸気/帆併用艦が海軍の主力であった。1862年3月8日には先見ある軍事技術の勝利を証明する事件が起きている。

 

 

 

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