このような感慨にふけるのも束の間、思いもかけず向かい風にあい、漕げども船は後ろに押し戻されるばかりです。
と、また例の大酒飲みで自分勝手な船頭がこう言うではありませんか。
「この住吉の明神は、例の神(ほしい時はいつもこうして波風を立てる神)ぞかし。欲しき物ぞおはすらむ。…幣(ぬき)を奉りたまえ」と言ふにしたがひて、
幣を捧げたものの、ますます風浪は激しくなるばかりです。船頭はこう言うのです。
「幣には御心のいかねば、御船もゆかぬなり。なほ嬉(うれ)しとおもひ給(た)ふべき物たいまつりたべ」といふ。また、言ふにしたがひて、「いかがはせむ」とて、「眼(まなこ)もこそ二つあれ。ただひとつある鏡をたいまつる」とて、海にうち嵌(は)めつれば口惜(くちを)し。されば、うちつけに、海は鏡の面のごとなりぬれば、ある人のよめるうた、
ちはやふる神のこころを荒るる海に
かがみをいれてかつ見つるかな
幣ではだめでもっと神が喜ぶものを、と船頭が言うので、仕方がない、大事な眼さえ二つあるのに、たったひとつしかない貴重な鏡を神に捧げようと海に投げみ、まことに残念と綴ります。
とたんに海は鏡のように静かになったのでこううたを詠みます。荒れる海に鏡を投げ込むと海が静まるのを見るにつけ神の強欲な心を鏡に映して見たような気がすると皮肉たっぷりのうたです。
そして、もともとやれ住の江だ、忘れ草だ、岸の姫松だなどという優雅な神などではないのだ、この目で鏡にうつしてはっきりと神の心を見届けた。つまり船頭の心は神の心というわけだ、と筆者は強烈に
“神”を直視するのでした。
七日。船は河尻(大阪)から淀川に入り、京はもはや指呼の間です。
●亡き娘への鎮魂
八日、九日、十日と淀川を上り、貫之は病を得て悩みつつも、心は都に近づく喜びに包まれます。十二日、ついに船は山崎に着きます。ここからは京より呼び寄せたくるまで京に入ります。もはや船での生活はくさくさするばかり、思えば長い長い五十余日の船旅でした。
二月十六日、夜になって京に入ろうとゆっくりと桂川を渡ります。月が出て、昔のままの美しい桂川が一行の帰洛を迎えてくれるのでした。
月明かりの中を留守宅着。ところが預けておいた人の心も、邸も、そして庭も五、六年の留守なのに千年も経ったような荒れ方で京に着いた喜びとは裏腹に筆者の心はさむざむした思いに満たされるのでした。
「土左日記」は万感のおもいをこめて、こううたい筆をとじるのです。
むまれしもかへらぬものをわが宿に
小松のあるを見るがかなしさ
見し人の松のちとせに見ましかば
遠くかなしき別れせましや
無事帰ったものの筆者(貫之)に去来するのは亡娘の思いばかりです。庭の新しい小松を見ては娘を思い、千年の松のように娘が生きていればあの土佐で悲しい別れをしなかったと嘆く「土左日記」です。貫之にとって五十五日の長い長い航海は何だったのでしょうか。
(第十四話終)