お父さん、いっしょに帰ろう
大橋明徳(おおはしあきのり)
「ブルルルルー」
『こばるとあろー』のエンジンがかかりました。外海に出ると波が出てきました。まどに付いた波しぶきが、太陽の光に当って流れ星のようでした。御前崎につくとすごい三角波で、みんなよっていました。船は右に左に、前に後ろにゆれて、ぼくは、こわくてこわくてたまりませんでした。お父さん達は、こんな波の中をいつも仕事していたんだ、大変だったんだなあ、魚も好ききらいしていられないと思いました。
デッキに出て、お父さんの好きだったタバコやコーヒー、そしてぼく達の手紙と写真を花束といっしょに海に投げました。ぼくは、この下にお父さんがいるなんて信じられませんでした。泳いで行って連れて来たかったです。こんな近くにきたのにどうすることもできませんでした。
「お父さん、いっしょに帰ろう」
「いっしょに帰ろう」
とお父さんにさけびました。
あの日、船が出るまで、家族五人でコタツに入ってテレビを見ながら、年賀状の版画をほっていました。そして今年の大みそかは、お父さんと三島大社に初もうでに行く約束をしました。お昼をみんなで食べて、お父さんは、仕事着に着替えました。玄関でくつをはきながら、前の日につりに持って行った道具を見ながら
「リールは大きいのにかえてあるから」
「うん」
「これは帰って来たらかたづけるから、ここにおいとけ。行って来まーす」
これが最後にお父さんとかわした言葉です。
「今日は船はでないよ」
と言っていたのに…
その日の夜、船がてんぷくした七時三十五分ごろ、ぼくは、昼間お父さんとほった版画を年賀状にうつしていました。そして仕事に行ったお母さんが十分くらいで帰って来ました。ぼくは、どうしてこんなことになったんだろうとくるしくなりました。
あれから半年がたちました。ぼくは五年生、弟の和貴は三年生、妹の千穂は保育園に入りました。
お母さんは、二つのパートで働いています。
あの日「行って来ます」と言って出かけたお父さんはもどって来ません。
お父さんとは、夢の中でしか会えません。
何も変わらない家の中で変ったのは、お父さんがいない事と仏だんがある事です。
友達の折ってくれた千羽鶴が、ぼくに勇気をくれます。
勉強も運動も頑張って、色々な事に挑戦していきたいです。そして、お父さんが教えてくれたつりやスキーも、またやりたいと思います。
この半年で、お父さんに見てもらいたかったことがたくさんあります。これからも、もっともっとふえるけれど、お父さんがそばで見ていてくれると思っています。お母さんが言いました。
「一枚の花びらでは花にはならないけれど、ぼくたち四人が四枚の花びらになって、大きく根をはったお父さんのくきの上に咲き、回りの人のはっぱに支えられて強く生きていこうね」
ぼくも、大きな花でなくてもいいから、ぼくにしか出来ない花を長く長く咲かせていきたいと思います。ぼくは、お母さんと、弟や妹と笑って生きていきたいです。
大好きなお父さん、まだ小さい千穂は時々「パパー」と泣き出す時もあるけれど、和貴やぼくは、お母さんの力になって頑張って生きて行くので見守っていて下さい。
お父さんは、今も海の中だけど、お父さんの好きだった海を見ながら、つらいけれど早く大きくなりたいです。
毎年十二月二十六日は、お父さんに会いに御前崎に行こうとお母さんと約束しました。
これからは、お父さんの言っていた言葉を一つ一つ思い出して、お父さんが安心するように頑張って行きたいです。
(筆者=当時、静岡県戸田村村立戸田小学校五年生。現在、高校一年生)