私は、下着を少しくらい着込んでも短い時間で体温が下がって体力がもたないだろうと死を覚悟していました。次に考えたことは、捜索時間がかかって迷惑をかけることをなるべく少なくすることと遺体が確実に家族のもとに届くことでした。このため、いつもアンカーを結わえていたフロート(発砲スチロール製の丸たんぼのようなもの)に二人の体をしっかり結わえることを考えました。飛び込んでからそのとおりにしました。
本誌 船が沈むという時に、随分冷静に判断・行動できたものですね。いくつかのことに感銘を受けましたが、まず、ウエットスーツの着用はいい話しですね。
磯崎 私の海難があってから地元の船では皆さんウエットスーツを人数分積んだようです。
本誌 磯崎さんの体験談が生かされたということですが、ウエットスーツは高いでしょうね。
磯崎 プロのダイバーが使うものはとても高いようですが、われわれのは三〜四万円で買えます。
本誌 それなら負担も少ないし今後小型漁船などで普及するとよいですね。それからフロートに関するお話にも共感しました。磯崎さんがいわれたように捜索する側からは見えやすく早期発見がしやすいということがあったと思います。
磯崎 そう思います。広い海に人間の頭だけが浮いていてもほとんど見えないですから。
本誌 保安部との連絡でヘリコプターが救助に向かっていると分かっていたのに磯崎さんが死を覚悟したということはどういうことですか。
発見されないとあきらめた
磯崎 あの時化の海でしかも闇夜ですから見つけることは無理だと思いました。GPSの位置を知らせてあったのでわれわれのすぐそばまで来ることができても、結局夜明けまでは発見できないものと思いました。水温一八度、気温一四度の条件下で、大山はウエットスーツを着ているので助かっても私はもたないと覚悟しました。
本誌 時化の海面で約二時間半も頑張って、夜中の二時半に救助されたのですから奇跡に近い救助だったと思いますが。
荒天・暗闇での決死の救出
磯崎 ヘリコプターを待っている間、二人の間で特に会話はありませんでしたが、泳いだりして体力を消耗してはならないことと、「大山、大山」と名前を呼んで眠ったりしないように注意しました。海は相変わらず大時化で、風は二〇メートルぐらい、波は五メートルぐらいあったと思います。海面に顔がありますので強風で吹き付ける波しぶきが口や眼に入りました。とにかくフロートにつかまっているのがやっとでした。
ヘリの飛来する方向は風向きから判っていたので、大山に「あちらの方角を見ておけ」と励ましました。
最初に航空機が飛来しました。私たち二人は、少しでも見えやすいようにとつかまっていたフロートを上下に動かしました。ところが航空機は、しきりに照明灯で照らしていましたが、海面を照らさず上の方ぱかり照らしていたのでこれでは見つかりっこないと思い、私の方は体温の低下による体力の消耗もあっていよいよだめだと思いました。
本誌 その時、磯崎さんは赤外線捜索監視装置(FLIR)のことは知らなかったのでしょうね。
磯崎 助かってから聞かされるまで何も知りませんでした。実際は先に飛来した航空機が赤外線を使った装置でわれわれをキャッチしてその位置を後から来るヘリに知らせたのだそうです。だから少し遅れてきたヘリは真っ直ぐわれわれの上にきて照明弾を落としながら直ちに救助活動に入りました。
この時、相当弱っていましたが、もうこれで助かったと思いました。
特殊救難隊員がヘリから降下してまず私を後ろから抱きかかえ、ヘリの機内に収容しました。しかし、大山が救助されるまでは心配でヘリから体を乗り出すようにして見守っていました。やがて大山が機内に収容されてはじめてほっとしましたが、同時に寒さと疲労を感じました。この間の時間的な感覚はほとんどありませんでした。
本誌 磯崎さんを先に収容したということは磯崎さんの方が弱っていたからですか。