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漁を終え沼津港向け航走中であった漁船「八号幸栄丸」(二人乗組み、八・七トン)は、平成十一年十月十九日二十二時ごろ、御前崎南南東五〇カイリの海上において大波を受け船体を大破、数時間後に沈没した。

大時化で闇夜という悪条件のもと、海上保安庁の特殊救難隊員の必死の救助と被救助者の適切な対応が相まって、奇跡的な救助につながった。

救助者、被救助者の体験談を紹介する。

 

被救助者磯崎光男(船主・船長)さんインタビュー

 

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漁船八号幸栄丸

本誌 どんな漁船でしたか。

磯崎 八・七トンのプラスチック製の漁船で、船齢一七年でした。

本誌 漁場はどこでしたか。

磯崎 はえ縄漁法でまぐろを釣っていました。漁場は主として銭洲という瀬の付近でした。

本誌 銭洲というと?

磯崎 伊豆諸島の神津島から南西におよそ二〇カイリ(約三七キロメートル)のところにある浅い瀬です。

本誌 もっぱら瀬付きの黄肌まぐろを狙って操業していたということですね。仕込みと水揚げはどこでやっていましたか。

磯崎 そうです。瀬付きの黄肌まぐろを釣って大体一週間に一回沼津で水揚げして、焼津に回って氷や食料の仕込みをしてまた銭洲に戻るといった繰り返しでした。

本誌 二人乗組みだったそうですが、差し支えなければ一回の水揚げ量はどれくらいでしたか。

磯崎 平均で一回の水揚げは四〜五トンでした。五一歳の私と三九歳の大山、二人ともベテランで、漁も順調でした。

 

海難は初めて

本誌 これまで海難の経験はなかったのですか。

磯崎 私が三十数年、大山が二十年ぐらいの漁船の経験がありましたが、幸い二人とも事故にあったことはなかったのです。

 

 

 

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