6 底抜池
標高930m、面積208m2で、細かい砂泥が堆積しているため、湧水口の深さがはっきりしないことにより、この名称がある。湧水量は0.1万m3/日である。
7 御釜池
標高930m、面積25m2で、低地集団の内最も西側にあり、面積が25m2で最も小さい。かつては北東20mの位置にあったが、1923年の関東大地震で、湧出口が現在の位置に移動して、池を作った。湧水量は0.2万m3/secで、湧出口は直径60cmでほぼ円形である。
8 出口池
比高20mの急斜面の基部に位置し、標高935m、面積1467m2で、忍野八海の中で最も大きい。関東大地震により湧出地点の移動があり、現在では池から西北西に向かう斜面の基部、約1kmの長さにわたって湧出点が散在している。
出口池における湧出量は0.4万m3/日である(1995年2月)。
忍野のミネラルウォータは湧水付近の深度30mの井戸水で造られている。陽イオンではCa2+、Mg2+、陰イオンではHCO3-が卓越している。
(2) 河口湖
河口湖の面積は5.7km2富士五湖の中では山中湖に次いで大きい。河口湖の湖底に妙法寺の遺跡が発見された。645年(大化元年)妙法寺記が知られており、大化元年当時河口湖は妙法寺遺跡まで広がっておらず当時の河口湖は現在より小さかったと推定される。現在の河口湖が形成されたのは864年(貞観6年)の剣丸尾溶岩流の流出による。
(3) 西湖
西(さい)湖の面積は2.1km2である。
忍野八海のような湧出口は、現在の富士五湖の湖底にも存在すると推定され、西湖では水中ビデオカメラの撮影に成功している。
かつて、西湖、精進湖、本栖湖の三湖はせの湖と呼ばれる一つの湖であった。西暦800年大室山を形成した延暦青木ヶ原溶岩流によって現在の西湖・精進湖の部分はせの海西端(現在の本栖湖)から分離された。