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(2) 近代的河川技術の特長と限界

日本において近代的な河川改修工事が本格化するのは、1896(明治29)年に河川法が制定され、治水事業へ国庫負担の道が開かれてからである。ちょうどその頃、コンクリートと鋼の近代的素材を使って一体的な巨大な構造物(堰・水門)を河川を横断して築造できるようになった。また同時期に、大規模化な盛土や掘削が可能な土工機械力が登場し、河道を堤防で固定・直線化することが可能となり、数十年から200年に一度発生するような洪水を対象に、これをすべて河道に閉じ込め、できるだけ速く海に突き出すという治水策、すなわち河道主義治水が採用されるようになった。これらによって、普段と洪水時で流水に対するわれわれの矛盾する要求を自在にコントロールし、川の治水・利水(水力発電・水資源開発)が高度化されたのであった。

しかし、これにはさまざまな限界が存在していたのである。河道主義治水の限界は(3)で見ることにして、まず、巨大構造物の短所を見ておこう。

1] 川の近代的構造物は、水力発電や水資源開発をおこなうことによって、川から遠く離れた都市の文明を支えてきた。しかし、一方で川の物質循環を遮断し、川の生態系を破壊し、それによって川沿いの地域文化も破壊してきたといえる。そうした典型例に、信濃川中流部のJR宮中ダム(図3参照)、四万十川の家地川ダム(図4参照)などがある。いずれも発電のために普段の流水のほとんどを取水し、その下流での鮭や鮎の生息を不可能にし、さらに地域の川文化を消滅させてきたのであった。

2] 河川構造物が大規模化・高度化したため、その建設や維持管理を専門家に依存せざるを得ず、その建造費や維持管理費も巨額にのぼり、それまで地域住民で支えられていた伝統的技術は失われ、川と住民とは乖離してしまった。

3] これらの構造物は、「永久橋」という表現に代表されるように「永久」と考えられてきたが、現在、1900年代初期に造られた多くの構造物は腐食や劣化で耐用限界を迎えており、改築しなければならない段階にきている。そして、その改築には再び巨額な建設費を必要とするのである。

 

(3) 河道主義治水の限界

明治時代中期以降の近代的治水は、前述の河道主義の思想に基づき、巨大な堤防、放水路、ダム群を主体として計画されてきたといえる。なお、ダムは洪水を貯留・調節するもので、「できるだけ速く海に突き出す」思想と異なると思われがちであるが、日本の場合、ダムの洪水調節容量が洪水規模に対して小さいため、洪水調節が終わり次第、次の洪水に備えて、できるだけ早く水位を下げなければならない。それゆえ、ダムも「できるだけ速く海に突き出す」思想の範疇に入る。

この河道主義治水の問題点を整理すれば以下のごとくであろう。

1] 超過洪水対策の欠如

洪水が河道から溢れないことが前提となっているため、溢れることに対する対策がないままに沖積平野の開発が進み、被害ポテンシャルが高まり、計画を超える超過洪水が来て破堤氾濫したら大被害が発生する。

2] 流出率の増大・計画改定の必然化

河道のみ注意が払われ、流域の開発に対する配慮・対策がなく、その一方的開発によって雨水を浸透・貯留することがなくなり、流出率が増大し、洪水が大きくなり、時々計画の見直しを行わねばならなくなる。

 

 

 

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