リアス式海岸のリアスという語は、もともとスペイン語のras(塩入り川)である。さらにそのもとはrio(川)である。陸に蓄えられた栄養が、川を下って海を豊かにしているのである。
森林は、降水の貯留、河川の流量調節にも大きく貢献する。718年の養老律令が山地での耕作を禁止するとともに河川沿いの植樹を提唱していることにみられるように、このような森林の効用も、古くから気づかれていたことである(タットマン、1989;熊崎(訳)、1998)。葉から蒸散する水蒸気も含め、陸上の植物は、世界の水循環に大きな影響を与えている。
林下に形成される肥よくな土壌に含まれるミネラルが海を育てているという事実は、その仕組みに科学のメスが入る以前から認識されてきた。スペイン漁民に限らず、沿岸漁業に従事する人たちは敏感にそれを感じとっている。近年は森林の育成によって沿岸の水産を回復させる試みもふつうになってきた。北海道の襟裳岬では1953年以前の森林伐採によって周辺の海が砂漠化していたが、その後の植林によって漁獲量は25倍になったという報告がある(加藤、1993;新エネルギー・産業技術総合開発機構・(財)地球環境産業技術研究機構、1995に引用)。
森林と海洋の栄養的なつながりについては、たとえば森林土壌で生産されるフルボ酸鉄が植物プランクトンや藻類の鉄吸収に有効であるなどの説がある(松永、1993)。一方では必ずしも森林が海の育成に関わっているとはいえないという見解もある(谷口、1998)。いずれの立場であれ、水量や土砂の制御も含めて、陸上森林が海にとって不可欠な存在であるということには変わりがない。
地球上で森林の占める割合は、現在ほぼ陸地面積の30%である。しかし、陸上には森林以外にもさまざまな植生があり、それらはどのような形であれ森林と同様に人類を含めた生物界にとっては不可欠なものである。森林はそのような陸上植生のうちで最も複雑で多様性に富む構造であるために、とりわけ注目されるのである。
陸上の植生を保全することで海を育てるという発想は、徐々に社会に浸透しつつあり、地方自治体にもそのような姿勢を環境保全と結びつけた地域振興に利用しようとする動きがある。1998年10月18日付の朝日新聞朝刊に「山の幸で鯨呼ぼう」と題する記事が掲載された(添付資料)。高知県が主催した「鯨と野鳥が出会う森づくり」の事業報告を紹介したもので、同年10月11日に高知市で開かれたシンポジウム資料は、森と海の関係を平易に解説し、自然を豊かにすることで人間生活が豊かになるという論理を多角的な視点から紹介している(付属資料一覧)。
森林をはじめとする陸上の植生は、宇宙において地球を水と緑の惑星として特徴づけている。しかし現在、陸上植生は人類の活動によって大きく影響され続けており、水圏、大気圏、岩石圏、生物圏全体と関連しあって、人類の未来を直接運命づけるまでに変化しようとしている。農耕がおこなわれる以前の陸地には、1200万平方キロの森林があった。1980年代までにその半分が消失し、今も毎年日本の面積の五分の一にあたる森林が消失している。ことに1950年以降、森林の三分の一が消失したまま未回復で、因果関係はともかく、この間地球大気の二酸化炭素は30%増加した。
このような環境急変の時代に必要とされるのは、ひとりひとりが地球と人類の将来を考えた行動をすることで、そのためには適切な教育と啓蒙が必要である。現代社会共通の課題である人類と自然の共存への理解を深めるためには、具体的には何が必要であろうか。三重県の観光ホテル総料理長、高橋忠之氏は、上記高知県主催のシンポジウム基調講演の中で、「心だけでは自然は守れない。一番困る料理は、心を込めて一生懸命作った下手な料理である。心の前に、学問で構築された自然観、あるいは博物学というものが必要である。」と述べている。知識があってこそ心が活きる。学問が社会に資するものは、まさにこの点であると思われる。