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51. 革命史を共有する大学

中国医科大学 722 藤原英弥

 

前身は、中国工農紅軍衛生学校、1931年江西省瑞金で創建。紅軍の長征に随って陝北へ。1940年延安で毛沢東の提議により中国医科大学と改名。抗日戦争勝利後、人民解放軍に随い東北へ、1948年東北の全面解放により、学校を瀋陽に遷した。

栄光ある革命歴史を共有し、中国共産党創立になる一番目の学園である。「致死扶傷、実行革命人道主義」をモットーとして、高級医学人材を輩出してきた、国内一流医科大学である。

キャンパスは市の中心部にあり、キャンパス内に付属第一病院がある。在校生は6000人位であろうか、臨床医学は日語班(6年制60名/学年)の1、2年生に日本語教育をしている。この学生達は日本語の教科書を用い、日本語で専門の講義を受けることになる。

現在1年生は30名のクラスが2組であるが、2年生は50名のクラスであり、語学教育には困難なことを痛感しながら教えている。日本語教育を通して、中国の若者との人間教育のふれあいができることを喜びとしている。

 

52. さまざまな学生の年令

延辺大学農学院 818 桐山五一

 

私の教えているのは農学院の学生ではなく、農学院の中にある中国農学部の外国語教育センターの生徒です。一年修了コースと三年修了コースとがあり、私は前者を教えています。能力別に基礎初級中級高級の班に分かれ、私はそのうち初級中級高級の班を担当しています。初級が39名、中級と高級が33名で会話を教えるには人数が多すぎます。小生の持ち時間数は16時間、それも火水木金の午前中毎日4時間連続で大変疲れます。

どの班の生徒もどこかで日本語を学んだ経験があり比較的教え易い。中学を卒業したばかりの者から、農学院の卒業生や農学院の大学院に在籍中の者、あるいは中国政府から選ばれて日本への留学が決まった農業部の職員、さらに主婦や大学の教授を定年退職した方まで年令構成はさまざまです。途中、進学先、留学先、就職先が決まって退学する者や新しく入学してくる者がいて絶えずクラスの生徒は異動があります。(途中異動は少数ですが)

どのクラスも会話の教科書があり、それに基づいて授業を進めますが、単調でマンネリ化する時があり、いろいろと工夫をこらします。自己紹介や3分間スピーチ、グループ別自由会話なども取り入れて生徒主体の授業になるよう努めています。又、毎日一首ずつ私の作った短歌を板書し日本語と短歌を指導するという一石二鳥の効果をねらったりします。中には文学好きの生徒がいて目を輝かせてくれるのでとてもうれしく思います。歌うことの下手な私が日本の歌を教えて一緒に歌うこともあります。

「キャンパスに落ちし黄葉(もみじ)を拾いつつ 朝の散歩を楽しむわれは」

 

 

 

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